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2020年2月19日水曜日

マドレな人々 ~ボールエクササイズ指導士“りんちゃん”デビュー記念インタビュー☆“好き”を仕事に!(1)

こんにちは、マドレタイムズ編集部です。
マドレタイムズ2月号では、ボールエクササイズ指導士としてデビューした宮澤千尋さんのインタビューをご紹介します!

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マドレな人々 ~ボールエクササイズ指導士“りんちゃん”デビュー記念インタビュー☆“好き”を仕事に!(1)


『ボールエクササイズ指導士』養成コース3期生として昨年春より鍛錬を重ねてきた“りんちゃん”、こと宮澤千尋さん。ついに12月にインストラクターデビューを果たし、『産後のバランスボール教室』東京都練馬区大泉学園と埼玉県和光市にて開講いたしました!


レッスンのご参加者のみなさまに、三児の母であることをいつも驚かれる、というのも納得の、キュートで凛とした佇まいのりんちゃん。
その意外な職歴や産後のパートナーシップ、そして養成コースでのエピソードも含めてのインタビューを2回にわたってお届けいたします。
“好き”を仕事へと結びつけてきたりんちゃんの熱い想い、必読です!

宮澤千尋インストラクター『産後のバランスボール教室』のご案内
・大泉学園教室(練馬区) 
毎月第1・3火曜日 10:30-11:30開催

・和光市教室(埼玉県) 
毎月第2・4木曜日 10:00-11:00開催


前職はハイブランドメーカーのショップ店員!?


聞き手:12月に『ボールエクササイズ指導士』としてデビューして早くも2か月ですね!日々のレッスンはいかがですか?

りんちゃん:とにかくすごく楽しいです! ご参加くださった方が、一緒に参加された仲間たちと体を動かせることを心から喜んで下さったり、ご参加者同士でコミュニケーションをとる様子を見れるのがとってもうれしいです。

聞き手:ところでりんちゃんは、『ボールエクササイズ指導士』になる前はどんなお仕事をされていたのですか?

りんちゃん:女性向けハイブランドのアパレルメーカーで働いていました。

聞き手:りんちゃんの、可憐でかわいらしいイメージからは意外な経歴ですね! なぜその職業を選ばれたのですか?

りんちゃん:学生時代から「読書」と「音楽」と「ファッション」に興味があったので、好きなことを仕事にしたい!と就職活動をしていました。最初は校閲の仕事を希望していたのですが、準備不足から思いは叶わず…。働きながらも“自分のための時間”をしっかりと確保でき、プライベートも充実させられる職場を…と探していたところで、そのアパレル企業と出会いました。新卒で就職してから29歳で出産するまでの7年間、銀座や新宿などの店頭に毎日立って接客していました。

聞き手:7年間、毎日店頭で立ち仕事! 大変だったのでは?

りんちゃん:それが平気だったんです。

聞き手:それまで体を鍛えていたとか?

りんちゃん:全然鍛えてないです…。音楽が好きだったこともあり、クラシックギター部には所属していましたが、学生時代は運動部に入ったことはなくて…。ただ大学の時に飲食店のホール担当のアルバイトをしていたので、それで鍛えられたのかもしれません(笑)。

結婚、出産、専業主婦の日々…から怒涛の第二子産後


聞き手:そこから結婚、出産を経験されるのですよね。

りんちゃん:はい。社会人になってからも続けていた音楽活動の仲間と結婚することになり、28歳で結婚、第一子を妊娠しました。仕事は楽しかったので、産後は職場復帰するつもりだったのですが、当時住んでいた練馬区は待機児童数ワースト3に入るエリアで。半年待っても保育園に入れず…結果、退職せざるを得なくなりました。

聞き手:自分の想いに反しての退職…。辛かったのではないですか?

りんちゃん:保育園事情については以前から耳にしていたのですが、本当に保育園に入れないんだ…と衝撃でした。ただ自分の母親も専業主婦でしたし、そのタイミングで第二子を授かったこともあり、自分の中では前向きにシフトチェンジしたつもりでした。

聞き手:では納得して専業主婦としての日々を過ごされていたのですね?

りんちゃん:はい。ただ、第二子の産後が本当に辛くて…。2歳になったばかりの長男の赤ちゃん返りで、精神的にかなり不安定な日々でした。たまには外食でもしようと、子ども2人を連れてレストランに行ったのですが、長男があまりに泣き叫ぶもので、注文したものを一口も食べず、帰ったこともありました。そんな時、まわりからの「子どもがかわいそう…」という言葉が一番つらかったですね…。子どもに手をあげてしまったこともあり、ものすごく落ち込み反省した記憶もあります。

聞き手:マドレボニータの産後ケア教室には参加されなかったのですか?

りんちゃん:当時から教室のことは知っていましたが、そんな長男の預け先もなく、諦めていました。子どもとの時間を作らないと!という気持ちはありましたが、自分のための時間を確保しようとは思えなかったんです。

聞き手:赤ちゃん返りした2歳児と生まれたばかりの赤ちゃん2人を抱え、本当に大変な日々だったのですね…。

りんちゃん:まさにいっぱいいっぱいの毎日で、産後9か月の時に、これは産後うつに片足を突っ込んでいるなと思いました。その時やっと「私はしんどい。子どもと離れたい」という気持ちを夫に伝えることができました。前々から夫は「たまには一人で出かけたりして息抜きしてくれば?」と言ってくれていたのですが、まずは長男の気持ちを自分が受け止めなければ!という想いが最優先で。

今、振り返ってみると、なにより自分の時間が必要だったんだと思います。自分の気持ちに気づき、夫にも伝えられたことで、徐々に気持ちが落ち着てきました。

“第三子、産む?産まない?問題”で育まれたパートナーシップ


聞き手:現在、三児の母であるりんちゃん。そこからのパートナーシップは順調だったのでしょうか?

りんちゃん:私は第二子の産後の辛さもありましたし、妊娠中のつわりがひどいこともあり、子どもは2人にしたいと思っていました。しかしながら夫が第三子を強く希望していて。育児や家事の負担が増える一方ですし、大好きなお酒も自分だけが我慢しないといけなくなる。そんな思いも含めて夫と何度も話し合いをしました。それまで家事や育児の分担は私と夫で9.7:0.3くらいだったのですが、第三子の妊娠中から産後にかけて、夫はフレックス制度を使い朝5時に家を出て、夜6時には帰宅する、という毎日に。夫も家の中のことをまわせるようになり、我が家にとって革命的なターニングポイントとなりました。

聞き手:第三子問題があったからこそ、改めてパートナーとよりよい家庭と関係性を築き直すチャンスになったのですね!

りんちゃん:本当にそう思います。夫に気持ちを伝えられるようになったことで、自分も無理をしなくなりました。

そんな夫の支えもあり、第三子の産後2か月目に念願の産後ケア教室、タケシ先生(竹下浩美インストラクター)の大泉学園教室に通うことができました。教室に参加したことで、「自分も社会復帰したい! 好きなことを仕事にしたい!」という想いが大きくなっていったんです。

次号に続く…


毎月第三水曜日に発行!

【文責:中桐昌子】

宮澤千尋さんのWEBサイトはこちら


2019年12月18日水曜日

『マドレな人々インタビュー』〜鈴木かおるさん(後編)〜

こんにちは。マドレ☆タイムズ編集部の北澤ちさとです。

今月号の『マドレな人々』は、マドレボニータ正会員の「つじっこ」こと鈴木かおるさん(東京都小平市)。産後ケア花小金井教室の卒業生コミュニティ「ハナコマドレ」発起人でもあります。

今回の【後編】では、2度目の育休から現在に至るまで、どんなふうに過ごし何を見つけたのか?をくわしくお聞きします。とってもエネルギッシュな過ごし方の中に、今育休中の方やこれから新しいことにチャレンジしてみたい方にもヒントが沢山あると思います!

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***

−2度目の産育休に入るとき、何か「テーマ」や「やりたいこと」はありましたか?

テーマ、ありました!
「これからどうする?」とモヤモヤザワザワの中の妊娠だったので、無事の出産、心身の回復を大前提に、気になることに手を伸ばし足を運んで、自分がどんなことに心が動くかを知って、これからのはたらき方、生き方をじっくりと考える期間にしたい、そう考えて臨みました。

まず最初(にして最大?)のチャレンジは産褥期プロジェクト。そもそも産褥期という言葉を知らなかった第1子のとき、当たり前だと思っていた「里帰り出産」が、本当に当たり前なのか?私の望みってなんだっけ?という視点に立ち返り考えてすすめていきました。

私の望みは、これから暮らしていく地域で産み、そこでどんな人たちと一緒に育てていきたいかを考えること。
生後まもなくから夫と時間を共有した子育てをしたいこと。
長男にはできるだけ普段どおり過ごしてもらいたいこと。
産褥期少なくとも1ヶ月は授乳とトイレとごはんとお風呂以外しっかりと横になること。
美味しくてやさしいごはんが食べたいこと。
そして、大人の話し相手が欲しいこと。

こんな気持ちがあるけれど何から始めればよいのかまごまごしていたら、隣町の産褥ヘルプ先輩(マドレボニータ事務局もこちゃん・みほちゃん)が声をかけてくれて相談に来てくださり、私の望みや、どうやったらそれが叶うかをまとめ、Facebookグループを立ち上げて準備することができました。

夫と、どんなスタンスでいてほしいか、私がどんなことを望んでいるかを話し合い、朝の支度や長男の送りと帰宅後のお風呂、産後の無事の報告や、友人たちに来てもらう日の調整をするなど、本来であれば苦手であろう、前に立つ役を担ってくれました。心身ともに負担をかけてしまったけれど、私の希望を尊重してくれたのはとても嬉しかったです。

両親、産後ドゥーラさん、きららさん(小平市の子育て支援NPO)に掃除洗濯ごはん作りなどをお願いし、ファミサポさんやご近所さんに長男のお迎えをお願いしました。そして何より、おにぎりや干し芋をもって話し相手として来てくれた友人たちの存在がどれほど心強かったことか…産褥期明けあたりでは、ZOOM(オンライン会議ツール)でのヘルプもしてもらいました! めちゃくちゃ嬉しかったです。恐れていた産後の隔世感が全く無く、今までと地続きで生活をすることができました。

今思えば、第一子の実家暮らしは、「子どもを産んだわたし」が今までの私と繋がっていなかった感じがします。それは私の主体ではなく、何か、社会にある(ように感じる)誰かの「こうすべき」で動いていたからなのだなと思います。

自分の望みに沿って、色んな手をお借りして「委ねる」を実行して、体現する。その一歩を、それこそ皆さんの協力を得て実現できました。おかげで体を休めながら精神的に健やかに過ごすことができ、このプロジェクトに関わってくださった皆さんに心から感謝しています。

そして産褥期が明けたら、マドレの教室にすごく沢山行きました(笑)。そもそもそれ以前にマタニティケア教室に3回!(第1子の頃知っていたら行きたかったリベンジ)。産後ケア教室はまさかの4回! ボールをおりた後からスタートする数々の企画や挑戦の原動力は、マドレの心身の回復プログラムは勿論、教室で出会った仲間たちのパワーかもしれません。

そのおかげで私の育児休暇中の活動はここから飛躍的に加速しました。
とくに、吉祥寺5月メンバーとは、ベビマ企画を皮切りにしたカップル講座、ハロウィン、クリスマス、卒業式など、パートナーも巻き込みながら楽しみの中で場づくりの実験をした感があります。誰かの「やりたい」に「やろうやろう」と乗ってくるファーストフォロワーが居ること、私自身がファーストフロォワーになることがどれだけ人を後押しするかということ。やっていることは違えど、第1子産後でチャレンジしたNECワーキングマザーサロン東京西チーム同様、「同じ熱量を持つ仲間たちとともにつくりあげていく場」がいかに自分にとって楽しく、必要で、やりたいことなのかが、かなりはっきりしました。これら、チームでの楽しき場づくりが、『ハナコマドレ』誕生と、ワークショップデザイナーの学びへ加速度的に向かっていったきっかけだったのではないかと思います。

−「場づくり」がキーワードなんですね。それぞれ詳しく聞かせてください!
まず、ハナコマドレはどんな「場」なのですか? 活動内容や工夫していることは?

前述の、誰かの「やりたい」に「やろうやろう」と乗る波を、地元で出来ないかな?と、ふと、思いついて、2018年2月に新規開講された地元「花小金井教室」の卒業生交流の場、「ハナコマドレ」を、誰にも相談せずに、2018年10月、急に立ち上げました(笑)。 もともと、私より先に卒業されたメンバーが相互保育でバランスボール講座をやろうとしたりと、コミュニティのさきがけがあったので、同じような想いの方がいるのでは?と勢いでFacebookグループを作成、繋がっていた友人を招待し、タケシさん(竹下浩美インストラクター)を招待して活動に賛同いただき、タケシさんからご参加者へ、クラス終了後のお礼メールでご案内いただけるようになりました。

せっかく地元に教室ができたから、終わってサヨナラだともったいない気がする貧乏根性、地域で何かあったとき声をかけられるつながりができるといいなという想い、そして何より、誰かが、こういうことやってみたい、と言い出せる、プラットフォームになり得る場をつくりたいと思ったのがきっかけです。

平日に集まれるメンバーでのランチ会からスタートし、1周年記念の「踊れるカラダづくり」講座、メンバーによるお昼寝アート、お花見、ワンオペヘルプあらためハナコノナガヤ探究、餃子パーティー、黒板お絵かき×公園遊び、ハロウィン仮装パーティーなど、はじめましてでも、子どもも大人も楽しめるイベントを実施してきました。普段と違う環境で異年齢交流する子どもたちが自分らしさを発揮していく姿も印象的です。また、月1回ZOOMを使った「ハナコマドレ会議」も(テーマを決めたりスキップしつつも)継続開催しています。

とはいえあくまで任意参加の場。どうしてもイベントを企画実施する側・参加する側に分かれてしまったり、リアルに集まれるメンバーが固定化し、新しい卒業生が入ってきづらかったり、そもそもFacebookを使っていなかったり、当初目的としていた「地域で何かあったとき声をかけられるつながり」「誰かがこういうことをやってみたい、と言い出せるプラットフォーム」はなかなか、一朝一夕ではいかないなと感じます。がっつり企画したい、企画まではいかないけど参加はしたい、情報だけ見ていたいなど参加したいカタチにグラデーションをつけるなどして、持続可能なコミュニティにしていければと考えています。

メンバーの提案で、今はLINEグループを作って、卒業生の8割くらいをカバーすることができました。現在は2周年に向けて、2019年度卒業生も企画メンバーに入り、2020年2月22日(土)にダンスイベントを開催予定です! やっぱり我らがタケシ先生の、体を動かすコンテンツが、はじめまして同士でも、皆いちばん集まりやすいのでは、ということで企画をスタート。参加者をオープン化するかどうかもこれから決めていくところですが、詳細が決まったらハナコマドレFacebookページでアナウンスしていきますので、よろしければぜひチェックしてみてください^^(宣伝w

−「ワークショップデザイナー」の勉強もしているのですか?

はい、今回も復職と同時wの2019年5月から、新しいチャレンジとして、青山学院大学社会情報学部のワークショップデザイナー育成プログラム31期に参加しました。

育休中に参加した「育休プチMBA」の参加者グループの書き込みで偶然見かけた「ワークショップデザイナー」という言葉に興味を持ち、その場で検索し、「私がやりたいと思っていたこと、こ、これかもしれない」とブルブルしてその場で説明会(平日夜)を申込み、事後報告で夫と説明会の日の子どものお迎え問題を相談しました(笑)。
そこで定義されていたワークショップデザイナーとは、

「コミュニケーションの場づくりの専門家」として、コミュニケーションを基盤とした参加体験型活動プログラム(ワークショップ)の企画・運営、コーディネートが出来る専門職。

「! それって専門職になりうるのか!」というショックを受けたのを覚えています。

私はずっとコンプレックスを持っていました。
それは、「私には何も無い」というコンプレックス。

特に、目に見える「看護師」「社会保険労務士」のような、「どんな仕事をやっているの?」「●●」だよ、ってイメージを伝えやすい、いわゆる手に職に憧れを持っていたけれど、勉強もバンド活動も仕事も楽に逃げ、それを身につけるような選択をして来なかった自分に嫌悪していました。(今となっては、全て自分の選択だし、それも含めて自分だと受けとめられるんですけどね)。

受講を決めたのは、私にとって自然に好きだと思えることで、「コレをやっているよ」って胸を張って言えることを生み出せるかもしれない、と思ったことでした。もともと感覚的に好きでやっていた身の回りの人とのイベントや、NECワーキングマザーサロンで知った対話型ワークショップの面白さと必要性、また、マドレ同期メンバーとのイベントやハナコマドレの場づくりが相まって、「コミュニケーションの場づくり」を、学問としても体系的に知り、活動や行動に深みや説得力をもたせたいという気持ちがどんどん大きくなりました。また、同年代、とくに母となった女性との関わりが多くなっている今、それと全く異なる年代・性別・価値観の人たちと学びあい、カルチャーショックを受けたいという欲求も沸いています。

受講は一方的に教わる「わかる」「できる」だけでなく、「わかちあう」を大切にする時間。私は初めてと言っていいほど学びを楽しいと感じたし、動画視聴もレポートも辛くなく、全ての授業で眠くならなかったです。

また、受講前の希望どおり、みごとに出自もしごとも大事にしていることもバラバラなメンバーと相互作用を起こしながらさまざまなカリキュラムをともに学びあうことができました。

その中でも特に、実習として短期間で大人向け・子ども向けワークショップをつくる過程をともにしたチームとのやりとりは、とても収穫が大きかったです。ひとつのことへのアプローチに対し、それぞれの価値観や大切にしていることを持ち寄ってアイデアや希望や不安を出し合い、それぞれの違いを「違いがあるね」と受けとめたうえで「じゃあどうしていこうか」を導き出していく過程が、社会そのものだなと思いました。

また、そのなかでそれぞれがどんな役割を担っていたかをフィードバックしあい、皆にもらった「安心感」「壁をつくらない一匹目(最初に動く人・場を動かす人)」という、私をあらわすというキーワードをもっとこれからの強みにしていきたいなと思いました。講座全体が大きなワークショップとしてプログラムデザインされているのだなと気づき、カリキュラムの中で、話す人話す人、ああこういう信念を持ってここにいるのだな、という想いに大いに触発され心を動かされ、自分はどうしていきたいのかを更に深めることができ、とても幸せな時間でした。

誰かの「やりたい」をかたちにしたいし、私の「やりたい」を誰かとつくりあげたい。足りない部分を補いあうだけでなく、今まで自分では気づいていなかったそれぞれの才能と心からやりたい根源的欲求を引き出しあう相互作用を持って。
ここに、確固たる想いで言語化できるほど、チーム志向が明確になりました。

修了後もそれぞれの場をベースにつながり続ける仲間たちと、これからまた面白いことを起こすつもりで動いています。特に「社会的包摂(インクルーシブ)」や、「自分らしさって何?」はテーマになっていきそうです。こちらも、活動が進んできたら、SNSなどで発信して行きたいです。


「マドレ式対話の場づくりラボ」に参加した理由は?
前述のワークショップデザイナー育成プログラムの終盤に、時を同じくして、マドレ式対話の場づくりラボ「夏ラボ」に参加しました。

もともと「NECワーキングマザーサロン(以下WMS)」の運営メンバーをやっていくうちに、「自分はどうありたいか」の対話の場をつくる進行役に興味が出てきて、いつかやってみたいな(でも今は息子の遠足と合宿がかぶるから無理だな)と思っていたらプロジェクトが終了してしまい、どうしようかしらと思っていたところで、クラウドファンディングでのラボ開催。

ラボでは、マドレ式対話の「聴く」の本質をモノにしたかったことや、それをひとりでなく、仲間と探究したいと思ったこと、ワークショップデザイナーの学びを知った今、サロンの場づくりをどう感じるかを知りたくて、参加したいと思いましたが、ワークショップデザイナー講座参加でかなり土日に夫に負担をかけていたので、このタイミングでの参加は難しいなと思っていました。しかし、北海道の会員チームマドレ・オホーツクと関西の会員チームKAMPで開催権を得たことで、次に関東で開催する時期が少し先になり、もう参加できるタイミングではないかもしれないと思い、夫と再度相談し、KAMPメンバーのかおちゃん(マドレ応援団の千葉香緒里さん)にも後押しされて参加ポチ。結果的に、このタイミングで受けられて良かったです。

参加してあらためてわかったのは、進行役の「聴く」とふだんの「聴く」は全く違うということ。ふだんの聴くは自分が主体で、それを聴いて自分がどう感じるかを丁寧に触れていくことを大事にするのだけど、進行役の聴くは、自分の感情を一旦横に置き、相手に軸を置いて、受けとめているのだなと感じました。じっくりと耳を傾け、相槌やオウム返し、要約や問いを投げかけ、相手に安心して話してもらい、相手の中の思考の深まりを促すと言うか。これを対話の間ずっと行っている進行役はすごく集中力が必要だし、「場に起こることをありのままうけとめたい」とか「方向性をある程度コントロールしたい」とか、どんな場をつくりたいかによって、その進行の中で持ち出すことも変わるのだな、と思いました。

そして、ラボの課題のひとつである「自分が進行する場を開催」してみて、感じたことをラボメンバーと共有したり、対話を重ね、私はファシリテーター、進行役をやることにこだわりは無いということも、実感しました。

私がこだわりたいのは、その場に何を起こしたいかの意図を伏線のように張り、それを意図するときどこにどういうしかけを施すのか、誰に進行してもらうのが適切かを考え、場の全体をプログラムすること。そして何が起こったかを記録したり、チームで振り返りをしたりして言語化してまとめ、次につなげていくこと。チームで、やってみたいこと・できること・できないことなど、想いを持ち寄りチームづくりをしていく、という一連の流れが好きだ、ということなのかもしれないな、と気づきました。ファシリテーターが決して嫌なわけではないのですが、どちらかといえばコーディネーターやコミュニティマネジャー志向だということがわかってきました。これは、ここからの自分のありたい姿に影響をあたえる気づきでした。


−その他育休中に注力したこと、やったことなどはありますか?

期間中を通して、ことばの力、言語化することの大切さを体現したくて、
 経験したことを言葉にして、SNSでアウトプットすることを意識的にやりました。

~2018年春 第9期 NECWMS 広報&アンケートメンバー
 産前ぎりぎりに企画と登壇者としても参画した「第9回 NECワーキングマザーサミット」

2018年春~ 第10期 NECWMS 東京西チーム運営メンバー&アンケートメンバー 産褥明けすぐにエントリーシートを書きました。

2018夏~冬 ママイキ主催活動。地元で2017年に実施されたこの講座で出会った仲間と、次は自分たちで実施したい!からスタートしたボランティア活動。母である自身の軸を大切に、子どもとのかかわりの中で、聴くこと、承認することの大切さなどを扱ったコーチングベースの講座なのですが、「知る、学ぶ、わかる」とかではなく、とにかくコーチの、演劇をみているようなライブ感がすごくて、追体験しながら笑って泣くというステージw、を近隣の人に届けたくてチャレンジしました。これは今後機会があれば会社とか小学校とか自治体でもやりたいな…。

2018年夏~長男の習い事スタート、次男をファミサポさんに預けて長男とのふたりの時間をつくることにもチャレンジしました。復職した今も継続しています。

2018年10月~ 次男とおやこ保育園に参加。「今ここ」に集中し、次男との時間を大切にすることを目的に申し込みました。ここですごした時間のおかげで「大人も子どもも、育ちあう」ことは大事だと思うな、探究したいな、という気持ちを継続して持つことになりました。

2018年秋、気になっていた育休プチMBAへ初参加。偶然代表の国保祥子さんの回でラッキーでした。仕事脳を存分に使うケーススタディワークで、あんなに積極的に皆が手を挙げる場は初めて!と思いました。世の中にはこんなに意欲的なひとたちがいる!もっとそれを活かせる社会にしたい!と感じました。

2018年秋 ママボノにチャレンジ。得意を持ち寄るすごくいいチーム! コミットし切れなかった悔しさを残す、実り多き経験。この期間に38.5度が5日間続く、自分史上最も辛い体調不良に見舞われました・・・。

2018秋 念願の金沢・福井旅行。長男の恐竜好きにかこつけて、福井県立共有博物館メインの旅に。ただ、体調不良の余波が残る中だったため、リベンジしたい・・・。

2018冬 WMS10期「育休部」をたちあげ、ここでも皆の「やりたい!」をかたちに、コラージュWSやダンス、おかず持ち寄り復職フェス実施!

2019春 こちらもWMSつながりであるマドレボニータ会員の仲間、ゆりちゃん(貫名ゆりインストラクター)、めぐりん(大森恵さん)、あやこさん(山崎彩子さん)、よっしー(吉江沙織さん)とカップル対象の復職講座企画運営。自身がまさにターゲットだったこともあり、当事者視点で企画運営、そして参加まで楽しみました。

2019春 Madre Bonita DAY2019の企画メンバー。毎週日曜朝のMTGが出来るカラダになり(笑)、展示も張り切りました。

2019春 勢いで札幌・旭川家族旅行。WMSつながりのまみりん(札幌チーム進行役川辺真美子さん)、みきてぃー(広報チーム田中未希さん)にリアルで会えたのも嬉しかったです。全国に会いたい人ができたのもWMSのおかげだし、全国のメンバーと繋がれるプラットフォームの大いなる魅力だと思います。

---ものすごく濃い1年でしたね! マドレつながりでの場がたくさんあったのですね。「ママボノ」というのはどんな活動ですか?


育休中や復職を目指す母が、NPOや地域団体にプロボノとして関わり、社会課題の解決を目指すプロジェクトです。
https://mamabono.org/

WMS8期(2016年)で出会った高宮ゆいちゃんがオブザーバーとして関わっていて、その頃から気になっていた「ママボノ」。第2子を授かった際には是非参加したいと考えていて、満を持して今回参加が叶いました。

今の自分は職場以外の社会の場で何を活かせるかな、を考えたいな、WMS以外のボランティアでの社会貢献活動はどんなものがあるかな、を知りたいと思ったのが、応募のきっかけです。

私は薬王寺町会のプロジェクトに参加したのですが、あつまったメンバーはそれはそれは個性豊かで素敵なひとたちばかりで大変に刺激を受けました(マドレOG多数!笑)。

それぞれの経験や資質を活かして、アイデアを持ち寄り、町の方のインタビューをしたり、全国の類似取り組み成功例の団体へ電話取材して資料にまとめたり、施策を言語化したり、夜中にLINEで対話が続く日があったり、充実の時間でした。

ただ、終盤に、大人になってから初めての激しい体調不良に見舞われ(5日間連続の38.5度超えwith乳幼児)、肝心な日にミーティングや現地での参加ができなかったりと、やりきれなかった悔しさは残っています。

しかし、それは同時に、復職後の自分をイメージするものでした。一生懸命準備してきても当日やむにやまれぬ理由で参加できないリスクは、子どもが増えた分増えているのかもしれない。そんなとき、自分は何を握っていたいか? どこまでを委ね、どこを手放したくないか? 社会課題の解決をサポートするという名目ではありましたが、そんなことを考える機会でもあったと思います。プロジェクト終了後、皆で行った振り返りも、とても味わい深いものでした。つながりを持ち続けて行きたいメンバーと出会えて嬉しいです。

---育休終盤~復職序盤で考えたことと今思うことを教えてください。

様々なことにチャレンジしていくうちに、これから、「やりたい」って思ったら育休中じゃなくても、できる気がするな、と感じました。それは自分をよく知り、自分の心の機微に従ってやりたいことを決めることができるようになってきたからに他ならないです。

実際、2019冬現在、会社の仕事以外に
「東京の西側に対話の文化をつくりたい」
「ひとりひとりの違いを包摂しあえる場づくりがしたい」
「大人も子どもも楽しめる場ってどんなだろう」
「家族でゆっくり過ごすってどういうこと」
「もっと地域社会にコミットしたい」
「各地で行われているマドレ式対話の場を繋ぐプラットフォームをつくりたい」
「SDGsってどうすればいい?」
など、色々な興味を追い続けています。

勝手知ったる「会社での仕事」を、上記のような興味で動く「はたらき」と分けて捉え、日常に身を置いて心身を整理する場と位置づけるようになってきました。これは会社に入りたての頃では考えられない心境です。ただ、現在業務が忙しくなってきて、会社の中でもマルチタスクになり、頭の中が常にとっちらかっていてそれが家庭にも影響が出てしまい(言いたくないのに子どもに「はやく!」を連呼したり、急かしてしまうことが常態化)、少し深呼吸が必要だと感じています。できれば、徐々に、興味で動いている事柄が仕事になるようシフトしていけると良いなと思っています。


---いろいろなお話、ありがとうございました! 次なるチャレンジは何でしょうか?

東京マラソン2020チャリティに参加し、マドレを応援するチャリティランナーとして走ります。
マドレが東京マラソンチャリティの対象に初めて選ばれ、いても立っても居られなくて(笑)。

何故急に運動、とくに生まれてこの方最も苦手な「長距離走」に、40歳で挑むことに自分で笑ってしまいます。自分の特長は自他共に認める「瞬発力」「推進力」だと思っているので、まさか「持久力」に傾くとは、と。少なくとも第1子産後には考えられなかった振り幅です。
でも、走り始めてから、走ること自体は嫌いじゃなかったことに気づきました。
苦手なのは、「速く走れ」と言われること、決められたタイムで走れないと「遅いぞ!」と急き立てられ、責められる学校の中での長距離走だったのでした。

こんなひとでも走り続けられるよ、を体現したいですし、
わたしの背中をびっくりするほど押してくれたマドレとマドレで出会った皆さんに恩返しをしたいです。

そして、やりたいことに一生手を伸ばし続けるために必要な体力を、これからにこそ、つけていきたいと思っています。物理的な体力は、心の体力に繋がる気がしています。あれっ?これって産後ケア教室のプログラムのこと!?笑

今回このようなインタビューの機会をいただき、なかなかできなかった自分の2回の産育休を振り返ることができて、とても嬉しかったです。これから何を大切にしていきたいか、何故そう思うのかの背景、根っこをじっくり振り返ることが出来た気がします。

日々、気持ちは動くし、大切にしたいことも変わっていくと思いますが、折に触れ、どうありたいかを少し立ち止まって考える余白を持ちたいと思いますし、対話の場もつくりながら、ありたい姿を探究し続け、少しずつ進んでいきたいと思います。ありがとうございました。

---こちらこそ、とても密度濃いお話をありがとうございました!

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2019年10月16日水曜日

『マドレな人々インタビュー』〜鈴木かおるさん(前編)〜

こんにちは。マドレ☆タイムズ編集部の北澤ちさとです。
マドレボニータは10月から新年度を迎えました!マドレ☆タイムズもますます皆さんに楽しんでいただけるよう、編集部一同工夫してまいりますのでどうぞよろしくお願いいたします!

今月号の『マドレな人々』は、マドレボニータ正会員の「つじっこ」こと鈴木かおるさん。産後ケア花小金井教室の卒業生コミュニティ「ハナコマドレ」発起人でもあります。今回は第一子育休中から職場復帰にかけてのエピソードをお聞きしました。


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ーー自己紹介をお願いします。

鈴木かおるです。東京都小平市在住、ITサービス業で渋谷勤務の会社員です。2019年5月に2度目の産育休から復職しました。今は産育休に入る前とは異なる部署で仕事しています。

ーー初めての産後はどんな風に過ごしていましたか?

自分の当たり前は、そうではないと気づかされたのが第一子出産前後でした。

出産は里帰りするもの、と、誰に指示されたわけでなく当たり前にそう思っていて里帰りを決め、千葉県の実家近くの病院で出産。今思うと恐ろしいのですが、「産褥期」という言葉を知りませんでした。なので、産後ケアのことも知りません。事前に会社の同僚が産前にヨガがよかったよーとDVDを貸してくれて、それをみてセルフケアや、病院で呼吸法をまなぶ、というくらいで臨んだ出産。幸い母子ともに命の危険はありませんでしたが、促進剤を使ったため急激な陣痛に記憶があやふや。

産後の養生は横たわることだと知らなかったので、産後初日から結構動いていて(=それができるのが回復力があるからだと勘違いしていて。ただの産後ハイだった…)お七夜準備とか、お宮参りやお祝いのお返し手配とか、ふつうにしていました。

今、あの頃の私に伝えたい。
寝とけ!!と(笑)。
実際あとからぎっくり腰をやったり、月イチで熱を出すようになったり…。あの頃ちゃんと養生していれば違ったかもしれないと思うことがしばしば起きました…。
(それを教訓に2度目の出産に臨んだことは後半で笑)

そして、メンタル不安定の思い出といえば、命名期限が迫る頃、名前の候補を土壇場で変え、それが両親義両親のあいだで票が割れてしまい、そのうえ、人が背負っていくこんなに大きなことを私なんかが決められない!と大泣きしたことを覚えています。

ーーそんな中、マドレボニータの産後ケア教室に参加してみていかがでしたか?

友人が、絶対合うからとオススメしてくれたマドレ。確か産後3〜4ヶ月頃。正直、だいぶ身体は回復してきたと感じていたし、子どもは元気だし、地域の支援センターめぐりをしたり、夫の協力もあり単身でお芝居を観にいったり、友達が遊びにきてくれたりと、社会とのつながりもあって、このまま過ごしていけば不自由はないのではと思ってたのですが…時折忍び寄る「身体しんどい」「だるい」「頭の中がもやもやする」これってこのまま過ごしていけば直るのかな?どうなんだろうと思っていたところ。

産後ケアってどんなものかな、とか、運動はしてないし心身の回復って気になるなー、友達も推してくれてるし1回目の体験からできるって書いてあるし、と、おそるおそる申し込んで参加して。

しょーげきでした。

まず自分の身体がぜんっぜん思うように動かなかったことを、今でもよく覚えてます。
そして、言葉もぜんっぜん出て来ない。びっくりでした。
回復してると思っていた私の心身。そうじゃなかった。

産後ケア教室にて

人生・仕事・パートナーシップをテーマに自分がどうありたいかを話す?今の自分との乖離がすごかったし、身体性からの対話というプログラムの流れがものすごくしっくり来ました。冷や汗ではないw汗をかいてスッキリした頭で、「自分を主語にした話」をすること。

無意識のうちに、自分を主語にした話をしなくなってたのだな・・・。
子どもの話、情報収集、グチ、遊びの計画がメインになっていて、「自分がどうありたいか」を考える余白が無かった。

それって、考えていいことなんだよな、言われてみれば当たり前だよな、私は誰かの妻で母という前に、自分なのだ、という感覚が、呼び戻された感じでした。

ーー「元気な産後」を過ごされていたように見えたつじっこにも、産後ケア教室は本当に必要なものだったんですね!教室参加を経て、育休中はどのように過ごされましたか?

(マタニティケアクラスがあることを知り、行きたかったー!実家でゴロゴロしてる場合じゃなかったー!って思いましたw)

まず、当時隣町のママサークルさんが自主開催されていたマドレの(タケシこと竹下浩美先生の)カップル講座に参加して夫とこのプログラムの良さを即共有(これ、めっちゃタイミングよかったです。長男がギリギリ同伴できる月齢でした。)。

近隣の助産所でマドレ単発クラスをやっていたので何度か通い、その助産所の家族で参加できる講座に行ったり、色々なことを「夫とシェアしてすすめるスタンス」ができてきました。

クラスで出会った仲間(ママ友じゃない、仲間、と感じました。大人の友人。)とは、ハロウィン、クリスマス、旅行(わたしは子どもの気管支炎でドタキャン…涙)など、親子で楽しめる企画を沢山しました。外出も、地域の講座や他のバランスボール教室、ヨガ、すもう、焼肉、水族館など平日にしたい遊び場にも沢山行ったし、映える離乳食作りやみそ仕込み、ミシン購入からの保育園準備など、家を整えることも沢山していました。
今でも繋がっていて、連絡をとりあったり、不定期でたまに集ったりしています。

初の子どもからの胃腸炎で一家全滅も経験…。

1回目の育休は、リハビリで心身が回復して、はじめての子どもが0歳のいま、子どものために何が出来るかな?というアクティビティ探しと、出来立ての家を整えるには何が必要かなと考えたりIKEAに行ったり、自分の居心地のよさを、家族を中心とした生活空間をととのえることで得ようとすることに奔走した感じがします。
保育園めっちゃ見学したなぁー。

「自分はどうしたいのか、どうありたいのか」
「自分の力だけではどうにもならない、だから家族と共有しよう」
それをベースに考えはじめるようになった、価値観再構築の1年。

楽しく生活したい。
その楽しさって何からくる?何が自分にとっての楽しいなのか?どうやったらできる?何ができる?何をやりたい?そんなことを考えはじめ、少しだけ、社会に貢献したい気持ちが芽生えている産後1年でした。


ーー最初の復職を迎えると同時に、NECワーキングマザーサロン・プロジェクト(以下WMS)にも参画されましたね。WMS参加のきっかけや理由はどんなことでしたか?

マドレに出会い、心身が回復し、何か、社会に貢献できるようなことが出来ないかな・・・という気持ちの芽生え、また、「好き」「やりたい」からスタートした仕事じゃなかったから、仕事このまま続ける?と考え始めたところで知ったサロンの存在。すでに復職間近の12月頃だったので、もうその年の実施は終わっていました(涙)。

その後、来年度の運営メンバー(参画者)を募集するという説明会(オープンハウス)があることを知り、直感に従って夫に相談し子どもを任せて参加。マドレのシェアリングプログラムのよさは実感していたし、何かやるにも何を?となったとき、マドレが絡むならきっと信頼できるという直感

そしてその説明会で「いつか運営メンバーやろうと思ったとき、その場があるとは限らないよ」と、会員のめぐりん(大森恵さん)に背中を押され、参加していないのに参画を決めました笑


ーー復職とWMSの両立で良かったこと、大変だったことは?

周囲には無謀な挑戦と思われていたようですw。子どもがいて仕事をするという新しい生活のスタート、未知の中わざわざパワーがかかる大変な時期に新しいことを重ねるのか!とw(でもこの後、「復帰と同時に何かを始める」ことは2人目でもやることになるwww)

>良かったこと
ボランティアにエントリーするにあたって、用紙に夫と相談しなければ書けない箇所があったこと。必然的に夫婦で会話でき、自分のことだけでなく、相手の考え方を共有することができたのが大きいです。

そして、東京西チーム5人のチームワーク。メンバーはサロン初参画者がほとんどで、一緒にどうしていこうかを考えられたのが一体感を醸成しました。

得意なことだけでなく、苦手なこと、できることだけでなく、できないことを、同じように大切に扱えて、気持ちをオープンにチームビルディングできていたのだとあとから振り返って思います。また、運営メンバーとしてサロンの場に参加し、定期的に「自分はどうありたいか」をふり返り考え言葉にする時間を持つことができたのもありがたかったです。

また、仕事の中で、社内のリーダーたちの学びの場づくりを受け持つことがあったので、参加者が「自分はどう感じるか、どうありたいか」に目を向けた企画を取り入れるようにはたらきかけましたw

子どもが19時半には寝てくれるようになり、色んなことを考えたり進めたりできる時間が取れるようになったのも大きいです。
(これは2人目で覆されましたがw)

「何かやりたい」の気持ちを受け止めてくれたサロンプロジェクトに感謝、そして、そこに飛び込んだ自分を褒めたいです。ここからいろんなことが動いていきました。

>大変だったこと
子どもと自身の体調不良が増えたこと。いままで小学生からこちら、発熱はインフルエンザ1回くらいしか経験がなかったのに、38度以上の熱を6回以上出した。なんだかんだ相当身体には負担だったのだと思います…。

また、仕事の方向性に答えが出ない状態が続いたことは大変でした。2人目を望み病院に通っていたためフルタイムで働かず時間確保を優先させたこともあり、仕事を忙しくすることを意識的に避けていました。

しかし、もともと出世したい、とか、時短ワーキングマザーでも昇格昇給ができるようにしたい、と上司に言っていたので、イケドンで働きたいけどそれをあえてやらない人、自分は出来ない奴、と自分で自分を下げて過ごしてしまっていた気がします(今思えば、仕事は忙しくしていた方がいい、という呪いがかかってる感じもします…)。

色々仕事を任せてもらえている感じはありましたが、だいたい二番手ポジション(これも今おもえばマミートラック、でもそこに望んで乗っていった感がある)だったり、肝心なときに子や自身の体調不良が重なって全うできなかったり、と、モヤモヤが続いていました。

まずは妊活優先、2人目できたら育休中に考えよう、という無謀な考えでした。授からなかったときはそのときに考えようというある意味他力本願な考え方にだんだんなってきてしまっていた矢先の、2人目妊娠でした。

余談ですが、この期間中の参加したサロンで出てくるのもだいたいこんな感じの話でした。結局どうしたいのかね?と考え言葉にして、そのときどきは落ち着くのですが、やっぱりザワザワを繰り返した2年弱でした。

ーーありがとうございました!産後ケア教室をきっかけに育休中から心身と身の回りの環境を整えたり、チャレンジを重ねてきたのですね。そして復帰後のモヤモヤやザワザワを言葉にするWMSの場があったことで、二人目産後の挑戦にも繋がっていったのかも…。

この続きは、マドレタイムズ12月号にてお届けします!

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2019年8月23日金曜日

『マドレな人々インタビュー』〜川尻沙織さん(後編)〜

こんにちは。マドレ☆タイムズ編集部の木村由樹子です。
マドレボニータの月間メールマガジン『マドレタイムズ』では7月から2回に渡り、マドレボニータ正会員の「さおりん」こと川尻沙織さんのインタビューをお届けしています。

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北海道・北見市を中心に活動する会員チーム「マドレ・オホーツク(通称:マドオホ)」を立ち上げ、代表も務めるさおりん。第二子出産後の職場復帰ではご自身が東京へ単身赴任するという選択をされました。後編ではさおりんの「働く」についてお聞きしました。
★前編はこちら★

***
ーーさおりんは、第二子ご出産後の職場復帰で、ご自身が東京へ単身赴任するという決断をされたそうですが、そこに至った経緯やお気持ちを、お聞かせください。

北見に来る前は、東京の某移動通信企業の本社で設備計画などの仕事をしていました。
仕事を辞めるという選択肢は元々なかったのですが、いざ復職を考えても、北見から東京の元職場にどうやって復職したらいいのか、夫の仕事は、保育園は、住むところは??と、どうしたらいいのかわからない状況でした。
NECワーキングマザーサロンの進行役は復職のためのリハビリとも考えての立候補でしたが、ある参加者さんが「でも働きたいんです、仕事はしたいんです」という言葉をシェアリングで伝えてくれたときに「あ、私もそうだ!シンプルにそれだけでいいんだ!」とハッとする思いがしました。そこからは「でも夫が〜」とか「でも保育園が〜」というような条件や環境を無しに、「私は働きたい」という想いだけを掲げ、行動するうちに、スルスルっと単身で復職する準備が整った感じがしました。

ーー言い訳を全て横に置いて、「自分はどうしたいか」を軸に行動されたのですね。仕事を辞めるという選択肢が無かったというのは、なにか背景に思いや経験があるのですか?

ちょっとおかしなことを言いますが、私はずっと「私が働かないのは世界にとって損失だ!」と宣伝していました。例えば「結婚したら奥さんには専業主婦になって欲しいんだよね〜」なんて話し始める大学の同期や、「子どもできたら仕事辞めるの?」と気軽に聞いてくる職場の同期などに良くそう言って宣伝・宣言をしていました。失笑されたことも多々あるのですが、軸にあるのはその思いです。私が仕事を通して問題解決能力を身につけることで、能力開発することで、社会の渡り方を学ぶことで、人脈を作ることで、政治力を身につけることで、世間にはとっても大きなメリットがある。その機会損失をあなたは許せますか?と相手に迫っています(笑)。

もっと一般的な言い方に変えると、これまた私が「私の働く」を見つめた原点である就職活動の時期に戻るのですが、結婚や出産というライフイベントを経験しても働き続けやすい企業であることを重視した企業選びをしました。(こういう選択ができたのは恵まれていたと思いますが…)
また、夫は大学院時代の研究室の後輩だったこともあり、同じような環境で勉強をしてきた仲間として「なぜ彼は子どもが産まれても変わらず仕事をするのに、自分だけ・女性だけが仕事に影響を受けるのか」というのは常に比較して考えてきました。理系だったこともあり、周りに男性も多かったので、比較対象がたくさんいておかしいなぁと思うことが多かったのかも。

ーー単身赴任生活に向けて、どんな準備や調整をされましたか。

普通の共働き家族が復職前に準備する内容と同じだと思うのですが、保育園の確保や園長をはじめ担任の先生にも相談し、当時北見には病後児保育しかなかったのですが病後児保育の申込と、いざという時のために民間の派遣型保育への申込などを行いました。
あとは毎週末北見に帰ることは決めていたので、航空会社のカードに申込みしたりもしました(笑)。

ーーパートナー側にも特別な準備は無かったのですか?

夫は比較的自由の効く職種ではありますが、職場の上司や同僚に事情を説明し、理解していただきました。元々私も同じ研究室で学んでいた関係で、夫の上司の皆さんとも一緒に研究をしたり学会ついでに飲みに行ったことがあったのもあり、私の人となりを理解していただいていたので、その点はスムーズだったのは良かったです。
また、第2子妊娠中に私が切迫流産の診断を受け、安定期までの数ヶ月間寝たきりになった経験があったことも幸いしたように思います。当時、夫は仕事を16時頃に切り上げて保育園のお迎えにいき、夕飯作りや寝かしつけをして、深夜に仕事に戻るというような生活をしていました。夕方から始まるような会議は欠席だし、飲み会にも参加できず、夫は思うように仕事ができない生活に何度も頭を抱えていましたが(私も悩んでNPO法人ファザーリング・ジャパン代表の安藤さんにメールしたりしました)、子どもと一緒の生活を体験したり、保育園の先生と真に主体的に関わることで、おもしろさも知れたし子育てへの覚悟もできたのではと思っています。

ーー単身赴任中、一番思い出に残っているエピソードを教えてください。

2歳前の娘が「ママはお仕事でトーキョーに行っている」ということを一生懸命話してくれたと保育園の先生が連絡ノートに書いてくれたことがありました。小さいなりに母親の仕事やいまの状況を理解しているんだな、と思って嬉しいエピソードでした。息子も私のはたらくを応援してくれていて、私よりも愛社精神が強く、「このCMよかったよね!」とか「◯◯先生は他社を使ってる!」とか話してくれるので、私の方が恐縮してしまうくらいです。

周りの人に単身赴任している話をすると、意外と母親の単身赴任というのも珍しくないのもわかって面白かったです。母親が海外赴任をしている例なども耳にして、決して少なくないということを知ることができました。働く場所が限られる社会はおかしいと思いますが、諦めずに働く手段を考える仲間がいることに励まされました。
一方で私の働き方を知って「私なら絶対無理」「うちの夫は絶対無理」等々、皆さんが(勧めているわけでもないのに)自分自身に当てはめて感想を伝えてくれることも面白い反応でした。
北海道新聞に取材していただいたことで、飲食店でとなりに座った人が私の働き方を噂していたよ、なんて話を聞いたりもしました。

ーー単身赴任前・単身赴任中とその後で、ご自身やご家族、その関係性などにどんな変化がありましたか?

最初から夫が協力的だったかというと、そうではなくて、北見に戻る異動届けを出し決定してから夫は完全に協力体制になりました(笑)。それまでは、理解し協力してくれてはいましたが、納得はしていないのが滲んでいました。
ただこの経験をしたことで、夫も私もそれぞれの職場でダイバーシティの活動や働き方改革の活動に参画するきっかけになったのは嬉しい出来事です。(夫は研究職ですが、学会のダイバーシティを考える講演会で妻が単身赴任の働き方の講演をしてスタンディングオベーションをもらったと喜んでいました)

ーーお二人ともお仕事の幅が広がったのですね。今後もその方面でご活躍の機会がありそうですね^^「理解し協力はしてくれるけど納得はしていない」なぜなんでしょう。個人的には、その辺りをぜひ掘り下げてみたいです。決してパートナーを責めたいわけではないです。

「そうは言っても一人で日々の子育てを担うのは大変」というところがあるのではないかなと思っています。
単身赴任の間、掃除・洗濯・片付けや、夕飯に食べるおかずの用意・冷凍保存などは、私が毎週末の帰宅時に行っていました。朝食は以前より夫の担当で、昼間は子どもたちは保育園なので、朝晩送迎して帰宅後夕飯を温めて食べさせ、お風呂に入って寝る、という生活は他人事としては結構楽だったんじゃないだろうかとすら思ってしまうのですが、たとえ夕飯作りや掃除洗濯の家事が免除だったとしても(うらやましい!)細々とした子どもの世話や家に大人が1人であることの緊張感、ちょっとした時に大人と話ができないこと、子どもの成長を一緒にリアルタイムで見て喜べないこと、などなど、自分に余裕がなくて生活を楽しめない状況にも「納得できない」状態だったのではと思います。
私も夫が短い出張のときに、夕飯はレトルトカレーやうどん屋さんで済まし、家事も放置していかに楽をしたとしても「そうは言っても一人で子育ては大変!」という気持ちになることが多々あり、単身赴任という日本的な制度にまつわる苦労には早く制度や文化が変わることを願わずにはいられません。。。

ーー最後に、産後ケア教室やサロンでもお伺いする『5年後の私』について、今思うことをぜひ教えてください。

5年後には「どこではたらくか」の制約がなくなり、もっと自由に自分のしたい仕事ができる環境ができているといいなと思っています。
私がいま北見に異動することができて仕事を続けられているのは、過去に自己都合での転勤が叶わずやめていった先輩・同期たちからするととても恵まれていることだと思います。ただ、北見に異動するという選択肢を取るためには子会社への転籍や地域限定職というコース選択が条件だったこと、それによりキャリアの幅も可能性もかなり削られてしまったことは本当に残念です。単身赴任中も在宅勤務をフル活用しながら仕事ができたことを考えると、さらに残念に思いました。テレワークの先進団体であるマドレボニータのように、私のはたらく会社でも早く制度の壁が取り外されて、どこにいても楽しく仕事ができるようになることを願っています。
また、一方で移住を勧めた方々に「でも仕事がねぇ・・・」と言われてしまうのですが、仕事は自分でつくるものだ!とも思っています(笑)。オホーツクというこの素晴らしく美しい環境の可能性を最大限に活かして、会社の制度が…なんて小さいことを言わずに、私自身を進化させていきたいと思っています。乞うご期待!
***

2か月にわたってお届けしたさおりんのインタビュー、いかがでしたでしょうか。
地元とは遠く離れた場所でコミュニティを立ち上げて地域の活性化にも貢献しながら、自身の「働く」を叶えるために行動する姿に「LIVE YOUR LIFE」を感じました。
さおりん、本当にありがとうございました!

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2019年7月19日金曜日

『マドレな人々インタビュー』〜川尻沙織さん(前編)〜

こんにちは。マドレ☆タイムズ編集部の木村由樹子です。
マドレボニータの月間メールマガジン『マドレタイムズ』では今月から2回に渡り、マドレボニータ正会員の「さおりん」こと川尻沙織さんのインタビューをお届けします。


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北海道・北見市を中心に活動する会員チーム「マドレ・オホーツク(通称:マドオホ)」を立ち上げ、代表も務めるさおりん。
第二子出産後の職場復帰では、ご自身が単身赴任をするという選択をされました。
前編では、マドレボニータとの出会いとマドオホ立ち上げに至るまでのお話を伺いました。

ーー自己紹介をお願いします。

川尻沙織です。出身は福岡県福岡市、関西を経由して東京に就職し、その後、夫の仕事の関係で育休中に北海道北見市に引っ越したのをきっかけに、今は北見で暮らしています。職業は、移動通信系の会社員です。

ーーマドレボニータとの、これまでの関わりを教えてください。

第1子の産後1年3か月は東京にいて国立駅の近くに住んでいたのですが、マドレボニータの存在を知ることができず、北見に引っ越すことを決めて「北見 骨盤」で検索して、当時、北見・網走で『産後ケア教室』を開講していたかおりん(永野間かおりインストラクター)のブログに出会いました。
6月に体験コースを、8月に4回コースを受講し、講座の『シェアリング』ワークでは「時短家事を極めて復職に備えたい」みたいな話をしていたのですが、その後9月に網走で開催されたNECワーキングマザーサロンに参加して、ハッ!と目が覚め、サロン後のランチで「来年のサロンの進行役をやりたい!」「かおりんの営業を手伝いたい!」と完全に産前の自分を取り戻した感じがしました。
そこからはどっぷりマドレ沼で、7期サロン参画、8期進行役、マドレ・オホーツク結成、9,10期サロン参画や北見市での産後ケア講座開催など、”オホーツクにマドレボニータの産後ケアを!”と活動することを楽しんでいます。

ーーマドレ沼(笑)。”ハッと目が覚め、産前の自分を取り戻した”とは?

出産後、歩けない!というまさかの経験から始まって、授乳がうまくいかない、赤ちゃんの体重がいまいち増えない、などなど、赤ちゃんとの生活をなんとかしようともがくうちに、ゆっくりゆっくりと自分を見失っていった感覚がありました。
わたしは就職活動をするときに自分の人生戦略を立てたことがあったのですが、その時に「60歳まで働き私利私欲を満たしたら、それまでの経験で身につけた問題解決能力を使って、到底解決しないような大きな社会問題(世界から貧困をなくす、とか、戦争をなくすとか)を解決するために汗をかける人になろう」という目標を立てました。(なぜそういう目標を抱いたかは別途)
網走サロンでは「人生」について話をしたのですが、自分の口からそれを出すまで、本当にそのことをすっかり忘れていました(笑)
話している自分の言葉を聞きながら「はっ!」とした瞬間を今でもはっきり覚えています。
サロン参加前までは、どの石鹸がいいかとか、どういう収納にしたらいいかとか、本当に冗談みたいにそういうことしか考えていませんでした。

ーーマドレオホーツク立ち上げについても聞かせてください。立ち上げの経緯は?さおりんの活動の原動力は?どうやって周りの人を巻き込んだ?

オホーツクにもマドレの地域活動をするグループを作りたいな〜という思いはずっとあって、北見網走コースの卒業生を集めたOG会をしたりしながら、どうやって結成・活動したらいいか迷ってました。
8期に進行役をすることになって、オホーツクにチームが出来た時に、実はメンバーが利用していた託児施設の方から「託児をするなら、市の補助がある。サロンのような活動をしているなら市の補助の対象になるのでは」と助言をいただき、メンバーが北見市の「子育て学級」というサークル活動の補助をしてくれる制度を調べて来てくれました。
その結果「ぜひ申し込もう!名前何にする?」となった際にすかさず「マドレ・オホーツクはどうかな?」とずっと温めていた案を出し、託児の補助をもらうためのチーム作りを、オホーツクに産後ケアを普及させるグループに仕立てるという「乗っ取り」を行い、大成功しました(笑)これがほんとのところです(笑)

かおりんは2016年の3月に札幌へ引っ越していったのですが、私は当時産後5ヶ月。「もっと(私が)産後ケア受けたい!!」というのが最初の活動の原動力です。

でも周りを見渡すと、力を発揮したくてうずうずしている(ように見える)人がたくさんいました。
もっとオホーツクでマドレボニータの産後ケアを普及させることができると思ったし、私たちにもできることがたくさんある!という確信もありました。
そんな中でサロンのメンバーとして集まって濃く活動できるきっかけになったのが、マドレ・オホーツクの活動の原点であり上手く地域グループが立ち上がったポイントだったのかなと思っています。

ーー実際に立ち上げてみて、苦労したことはありますか?

立ち上げの契機はサロンのメンバーで少人数だったので、キックオフやほぼ毎月のサロン開催・振り返り等で顔を合わせる機会も多く、コミュニケーションも取りやすかったのですが、人数が増えるにつれて参画の理由もそれぞれになり、なかなか会えないメンバーもいて、どうやって安心・安全に皆が自分のちからを存分に発揮できる環境を作っていくかをずっと考えています。
東京出張の際に、ヨーコさんやともみん(編集部注:理事・高橋と正会員・細川朋美さん)にCRファクトリーさんの勉強会をご紹介いただき、コミュニティについて考えるきっかけをもらいました。
そこでサロンという場がコミュニティとしてどのように考え作られてきたものだったのかを改めて知り、今年はマドレ・オホーツクでCRファクトリー代表の呉さんを北見にお呼びし、コミュニティについて考えるワークショップを開催することになっています。(2019年11月30日です!みなさん手帳をチェック!)

また、マドオホ主催の産後ケア講座に参加し、ピンときて参画を決めたメンバーも増えていることから、皆でマコ先生の著書や産褥記、マドレジャーナルを使った読書会をしながらマドレボニータの価値観について学ぶ機会も作るようにしています。
全員が正会員という老舗の地域活動グループを眺めては、うらやましく思うこともありますが、フレッシュな感覚も大切にしながらコミュニティ開発を頑張っていきたいと思っています。

ーー立ち上げて良かった!を実感した出来事はどんなことですか?

書ききれないくらいたくさんあります。本気で語り合える仲間ができたことも、地域の産後を日本一良いものにしたいと活動できることも、同じ釜の飯を食しつつ家族同士交流できることも、人生の豊かさにつながる素晴らしい経験につながっているなぁと日々思います。
その中でもマドレ・オホーツクとしては、仲間で協力して産後ケア講座だったり対話の場を作り、そこに参加してくださった方々が喜んで帰っていくこと、と書こうかと思ったのですが(笑)、それよりも私たち自身がかおりんをオホーツクに呼び寄せる知恵を出しあって、私たち自身がバランスボールで弾んで、講演会を開催して、たくさんのパワーをもらい、楽しく生活できていることが一番「良かった!!」と思えることです。
これからも私たち自身がエンパワーメントされ、楽しく活動できることを第一にマドレ・オホーツクを楽しんでいきたいと思います。

ーーどんどん人を巻き込んで、今やマドレ内でも一大勢力に拡大したマドオホですが、今後はどのように活動を展開していくのでしょうか?

オホーツクはたくさんの可能性があります。ひとつは、町がコンパクトで子育てしやすい環境であること。
かおりんがずっと以前から行政と連携して産後ケア講座を開催しつづけている北海道東部にある厚岸町(あっけしちょう)などが良い例ですが、小さい町であるからこそ出産した女性全員に産後ケア講座を届ける、ということも可能です。
北見市では年間約600人の産後女性が誕生していますが、インストラクターが2人か3人いれば100%提供も夢じゃない?!と考えています。
もっと小さい町ならなおさらです。町の全員がマドレボニータの産後ケアを当たり前のように受けて、エンパワーメントされて社会に戻っていく、そんな町が誕生したら、どれだけ面白い町になるだろうか?!とわくわくしています。
ということで、マドオホの今一番の願いはインストラクターの誕生です。
オホーツクでのインストラクター発掘も引き続きがんばってまいりますが、全国各地のインストラクターの皆さんの「移住」も大募集していますので、いつでもご連絡ください!
おいしいご飯を食べながら、のびのびと最高の環境で子育てができます。マドレ・オホーツク一同お待ちしています!


ーーさおりんの魅力と思いに人が集まって、ムーブメントが起こっていく様子、いつも頼もしく拝見しています。さおりん、ありがとうございました!
次号はさおりんの単身赴任について伺います。どうぞお楽しみに!

★さおりんが代表を務めるマドレオホーツクの活動が特集された、マドレジャーナル37号が発売になりました!こちらもぜひチェックしてみてくださいね。
▼マドレジャーナル37号(2,000円/税込)
https://madrebonita.shop-pro.jp/?pid=144011326

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2018年7月18日水曜日

『マドレな人々インタビュー』〜貫名友理さん(後編)〜

こんにちは、メルマガ『マドレタイムズ』編集部の北澤ちさとです。

マドレボニータの月間メールマガジン『マドレタイムズ』では2回に渡り、産後セルフケアインストラクター貫名友理さんのインタビューを掲載中です。
前編はこちら
3月のNPO法人化10周年感謝イベントで第一部の進行を務めてくれたときの一枚

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育休中に産後ケア教室へ参加し、インストラクターを志したゆりちゃん。退職、インストラクターデビュー、そして新たな働き方へシフトしていく過程は一見スムーズに見えますが、後編ではそこに隠された思いを話してくれました。

産後ケア教室参加後、育休中にボールエクササイズ指導士養成コースにエントリーされましたね。CA(キャビンアテンダント)のお仕事を続けることに関してはどのように思いが変化してきましたか?

客室乗務員というお仕事は、幼い頃から憧れていた職業でもありました。海外も大好きだったし、毎日違う場所で違う方に出会い、「この方は何を求めているかな」と考えてお客様にとって心地よいと思って頂ける空間をつくることにやりがいを感じていました。仕事が楽しかったし、自分でもすごく向いていた職業だと思います。

ただ、40代、50代、60代、定年・・までこの職業で働くことはイメージできませんでした。キャリアカウンセラーの資格を勉強し始めたキッカケにも繋がりますが、一時の幸せを提供するより、もっと人生の深いところで関わりたい思いはありました。

あとはフライトとなると物理的に地上から長時間離れる仕事ではあるので、親族の助けや支援団体のサポート、また長時間預けられる保育園の確保などは必須で、難しさは先輩をみても感じていました。夫も私も実家が地方で、関東に頼れる身近な親族がいない、こどもを深夜まで預けることは抵抗があったので難しい・・と、その時は思っていて、続ける難しさは出産前も感じていました。


・・・でもこっそり今の思いをここで残していいですか(笑)?

これはまだ、誰にも伝えたことないんですが、復帰はしたかったなって、今思っています。あの大好きな仕事をこどもがいながらも働いていく方法を今なら工夫してつくりだせるような気がします。(すごい変わりようw)

あと、純粋に復帰経験がほしい!!
すごく無い物ねだりなんですが(もう、ほんとに、呆れるw)昔に戻りたいという気持ちでも、後悔しているという意味でもなく、復帰して見える前職の価値を感じたいという思いです。

そうだったんですね…。私も同じ職場での復職経験が無いので、お気持ちわかる気がします!
現在は、産後ケア教室を高田馬場・三鷹の2箇所で開催しながら、株式会社エスキャリアでもお仕事をされているのですよね。どんな風に働いていらっしゃるのか、また2つの仕事を行うことでのやりがい、大変さなど教えていただけるとうれしいです。

産後ケア教室(4回コース)が週2回、単発教室やその他出張講座が週1〜2回程度です。
エスキャリアでのお仕事は、その月によっても異なりますが、4・5月は週1〜2で入らせて頂いています。

前職の経験を活かせている点もありますが、ほぼゼロからの挑戦だったので、毎日必死でした。(今もですw)学んでも学んでも当たり前だけどゴールがない。
どちらのお仕事も受益者の方々へダイレクトに価値提供しており、その場で見える成果が全てではないのもあって・・答えが1つではなくいつまでもどこまでも終わりのない感じが、難しく、楽しい。
そしてコミュニケーションを通して、その方のキャリア(人生)に関わるという点も共通しています。体を動かして頭で考えて、どちらかで学んだことがもう一方でも役に立つような、そんな感じがしています。

そして私は雇われているのではなく、個人事業主という働き方を選んでいます。フリーランスの私を、マドレボニータもエスキャリアも、信じて期待をかけて任せてくれている、ということが伝わってくるので、本当に嬉しく有難いことです。


最後に、産後ケア教室でもお伺いする『5年後の私』について、今思うことをぜひ教えてください。

5年後か〜。なんだろ〜。改めて聞かれてすごいこと教室で聞いてるなって感じますねww。

これって言葉にすることに意味があるって思っているので、今湧いてきたことをお話しますね。

インストラクターになって約2年になります。マドレボニータの教室で出会ってくださったみなさんは本当にユーモア溢れる個性豊かなで面白い人ばかり。
その素晴らしい出会いを独り占めせずに、繋がりをもっと横に繋げ続けれるコミュニティを自分の地域で仲間と共につくりたいと思っています。

年齢や経験やキャリアや肩書きに囚われない、
一人の大人として集える、
安心して話ができるコミュニティ。

その一歩として、今期のNECワーキングマザーサロンの進行役に立候補しています。
6月から各地で開催中ですので、ぜひお近くのサロンにも私のサロンにも来てくださいね!
お待ちしております^^

友理ちゃんが進行役を務めるNECワーキングサロン三鷹中央線チームのブログはこちら

貫名友理インストラクターの教室についてはブログをご覧ください
【三鷹・高田馬場・本郷(9月から新担当)】
http://yuriiiblog.hatenablog.com/
8月には特別出張講座@東広島(8/10金)も開催!

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2018年6月20日水曜日

『マドレな人々インタビュー』〜貫名友理さん(前編)〜

こんにちは、メルマガ『マドレタイムズ』編集部の北澤ちさとです。

マドレボニータの月間メールマガジン『マドレタイムズ』では今月から2回に渡り、産後セルフケアインストラクター貫名友理さんのインタビューをお届けします。


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2016年にインストラクターとしてデビューした「ゆりちゃん」は、大学時代からNPOに参画し、もとキャビンアテンダント、そして今はパラレルワークを実践中です。
人生を主体的にデザインしてきた様子のゆりちゃんが、産後からどのように今のワーク&ライフスタイルを実践してきたのか、詳しくお聞きしたいと思います!

自己紹介をお願いします!
貫名 友理です。島根県出雲市出身。
大学卒業後日本航空株式会社を経て、2015年11月に代表吉岡の教室に参加、翌月12月からBE指導士養成コース、5月からはSCI養成コースを経て11月SCIデビュー。
現在は産後ケア三鷹教室・高田馬場教室を開講中。
夫・息子(3歳)の3人家族です。
食べること、寝ること、体を動かすこと、ももいろクローバーZが大好きな30歳です。
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今年度NECワーキングサロンの進行役としても活動中です!


大学時代は認定NPO法人カタリバの活動に参画、幼い頃から憧れていたCAのお仕事に就き、妊娠中にキャリアカウンセラー資格を取得、そして産後ケア教室参加後はすぐにボールエクササイズ指導士養成コースへ…と聞くと、いつもエネルギッシュで充実した日々を過ごしてきたすごい人だなあと思ってしまいます(笑)そんな友理ちゃんの産後は、どのような日々だったのですか?

エネルギッシュで、充実した日々を過ごして、すごい人って・・!めっちゃ美化されてますやん(笑)
確かに、妊娠中は割と元気で、仕事と資格の講座などに動き回ってました。
キャリアカウンセラーの講座は、自分自身が子どもができたらどんな働き方を選ぶのか悩んでいたこともあったので、毎回リアリティがあって、学びが純粋に楽しかったんです。
だから、今後を考えるヒントをもっと知りたい!そんな思いで通ってました。

そして産後。
最初はとにかく授乳に時間がかかって、赤ちゃんが乳首を加えるだけでも一苦労・・。
1日中ずっと母乳をあげてた記憶があります。夜中も3時間おきに授乳。

そんなこともあり、とにかく産後は寝不足で、肩もバッキバキで重石が乗っかっているようにカチカチ。体が痛くて眠たくて、深夜の授乳は辛かった・・・それでも自分の体には目を向けることなく、体の悲鳴に気づけませんでした。

だって可愛い、愛おしい我が子の為ですのもの。
母になったから、私だってこれくらい・・・、
でも今思えば・・・

「母はこれを乗り越えなければならない」
「授乳もオムツ替えも母親がやらねばならない」と、
いつからか持ってしまった「ねばならない」に囚われすぎて、とにかく自分の中の「母親像」になろうと、必死だったなと思います。

産後2ヶ月弱実家で過ごして、東京に戻り、日中は息子と私ふたりっきりの生活がはじまりました。
最初はその生活も楽しめてたのですが、1日中夫以外の大人と話す機会がなくなって、社会から逸脱したような孤独感を感じ始めました。

どうにかして社会と繋がりを持ちたいと思い、市報を見て赤ちゃんと一緒に参加できるベビーマッサージ、ヨガ、お話会、手遊び歌の会など様々な講座に参加しました。

手探りな子育ての正解を求めるように、そこで出会った人とお互いの赤ちゃんの話や、成長具合が正常なのかを確認するような話をして、一喜一憂する日々。自分が求めている(と思い込んでいた)育児の話をしているのに、なぜか日々のモヤモヤは晴れることなく募るばかり。
我が子は可愛い、幸せなはずなのに、どうして気持ちが落ちるのだろう・・と、どうしたらいいのかかわらなくなっていました。

では、マドレボニータの産後ケア教室に初めて参加したときはどんな風に感じましたか?印象に残っていることなどぜひ教えてください

産後ケア教室に初めて参加して、1週目の帰り道に体と心が軽くなってスキップしながら(気持ちはw)吉祥寺教室から帰りました。

共感できる理念、身体を動かし人と関わることに強いモチベーションを感じる私の特性、これまでバラバラに思えていた思考や関心、自分の強みや経験などが繋がったように感じ、イナズマが落ちてパズルのピースが揃った!そんな感覚でした。

その日のうちに、夫に「こんな活動をしている団体がある。将来こんな風に働きたい!」と勢いよく話したことを覚えています。

また自分を主語にして話すことで、自分と向き合い、隣の参加者と大人同士の話ができていることが嬉しくて、心が満たされました。「今までに足りなかったものは、これだったのか」と体で感じましたね。

友理ちゃん、ありがとうございました!
次号の『マドレタイムズ』では、産後ケア教室参加後の心境の変化や、現在のワークスタイルについてお聞きします。
どうぞお楽しみに!

貫名友理さんブログ『産後ケア@三鷹・高田馬場「母も赤ちゃんもすこやかに」』

友理ちゃんが進行役を務めるNECワーキングサロン三鷹中央線チームのブログはこちら

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