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産後ケアのNPO法人マドレボニータ オフィシャルブログ

2019年10月16日水曜日

『マドレな人々インタビュー』〜鈴木かおるさん(前編)〜

こんにちは。マドレ☆タイムズ編集部の北澤ちさとです。
マドレボニータは10月から新年度を迎えました!マドレ☆タイムズもますます皆さんに楽しんでいただけるよう、編集部一同工夫してまいりますのでどうぞよろしくお願いいたします!

今月号の『マドレな人々』は、マドレボニータ正会員の「つじっこ」こと鈴木かおるさん。産後ケア花小金井教室の卒業生コミュニティ「ハナコマドレ」発起人でもあります。今回は第一子育休中から職場復帰にかけてのエピソードをお聞きしました。


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ーー自己紹介をお願いします。

鈴木かおるです。東京都小平市在住、ITサービス業で渋谷勤務の会社員です。2019年5月に2度目の産育休から復職しました。今は産育休に入る前とは異なる部署で仕事しています。

ーー初めての産後はどんな風に過ごしていましたか?

自分の当たり前は、そうではないと気づかされたのが第一子出産前後でした。

出産は里帰りするもの、と、誰に指示されたわけでなく当たり前にそう思っていて里帰りを決め、千葉県の実家近くの病院で出産。今思うと恐ろしいのですが、「産褥期」という言葉を知りませんでした。なので、産後ケアのことも知りません。事前に会社の同僚が産前にヨガがよかったよーとDVDを貸してくれて、それをみてセルフケアや、病院で呼吸法をまなぶ、というくらいで臨んだ出産。幸い母子ともに命の危険はありませんでしたが、促進剤を使ったため急激な陣痛に記憶があやふや。

産後の養生は横たわることだと知らなかったので、産後初日から結構動いていて(=それができるのが回復力があるからだと勘違いしていて。ただの産後ハイだった…)お七夜準備とか、お宮参りやお祝いのお返し手配とか、ふつうにしていました。

今、あの頃の私に伝えたい。
寝とけ!!と(笑)。
実際あとからぎっくり腰をやったり、月イチで熱を出すようになったり…。あの頃ちゃんと養生していれば違ったかもしれないと思うことがしばしば起きました…。
(それを教訓に2度目の出産に臨んだことは後半で笑)

そして、メンタル不安定の思い出といえば、命名期限が迫る頃、名前の候補を土壇場で変え、それが両親義両親のあいだで票が割れてしまい、そのうえ、人が背負っていくこんなに大きなことを私なんかが決められない!と大泣きしたことを覚えています。

ーーそんな中、マドレボニータの産後ケア教室に参加してみていかがでしたか?

友人が、絶対合うからとオススメしてくれたマドレ。確か産後3〜4ヶ月頃。正直、だいぶ身体は回復してきたと感じていたし、子どもは元気だし、地域の支援センターめぐりをしたり、夫の協力もあり単身でお芝居を観にいったり、友達が遊びにきてくれたりと、社会とのつながりもあって、このまま過ごしていけば不自由はないのではと思ってたのですが…時折忍び寄る「身体しんどい」「だるい」「頭の中がもやもやする」これってこのまま過ごしていけば直るのかな?どうなんだろうと思っていたところ。

産後ケアってどんなものかな、とか、運動はしてないし心身の回復って気になるなー、友達も推してくれてるし1回目の体験からできるって書いてあるし、と、おそるおそる申し込んで参加して。

しょーげきでした。

まず自分の身体がぜんっぜん思うように動かなかったことを、今でもよく覚えてます。
そして、言葉もぜんっぜん出て来ない。びっくりでした。
回復してると思っていた私の心身。そうじゃなかった。

産後ケア教室にて

人生・仕事・パートナーシップをテーマに自分がどうありたいかを話す?今の自分との乖離がすごかったし、身体性からの対話というプログラムの流れがものすごくしっくり来ました。冷や汗ではないw汗をかいてスッキリした頭で、「自分を主語にした話」をすること。

無意識のうちに、自分を主語にした話をしなくなってたのだな・・・。
子どもの話、情報収集、グチ、遊びの計画がメインになっていて、「自分がどうありたいか」を考える余白が無かった。

それって、考えていいことなんだよな、言われてみれば当たり前だよな、私は誰かの妻で母という前に、自分なのだ、という感覚が、呼び戻された感じでした。

ーー「元気な産後」を過ごされていたように見えたつじっこにも、産後ケア教室は本当に必要なものだったんですね!教室参加を経て、育休中はどのように過ごされましたか?

(マタニティケアクラスがあることを知り、行きたかったー!実家でゴロゴロしてる場合じゃなかったー!って思いましたw)

まず、当時隣町のママサークルさんが自主開催されていたマドレの(タケシこと竹下浩美先生の)カップル講座に参加して夫とこのプログラムの良さを即共有(これ、めっちゃタイミングよかったです。長男がギリギリ同伴できる月齢でした。)。

近隣の助産所でマドレ単発クラスをやっていたので何度か通い、その助産所の家族で参加できる講座に行ったり、色々なことを「夫とシェアしてすすめるスタンス」ができてきました。

クラスで出会った仲間(ママ友じゃない、仲間、と感じました。大人の友人。)とは、ハロウィン、クリスマス、旅行(わたしは子どもの気管支炎でドタキャン…涙)など、親子で楽しめる企画を沢山しました。外出も、地域の講座や他のバランスボール教室、ヨガ、すもう、焼肉、水族館など平日にしたい遊び場にも沢山行ったし、映える離乳食作りやみそ仕込み、ミシン購入からの保育園準備など、家を整えることも沢山していました。
今でも繋がっていて、連絡をとりあったり、不定期でたまに集ったりしています。

初の子どもからの胃腸炎で一家全滅も経験…。

1回目の育休は、リハビリで心身が回復して、はじめての子どもが0歳のいま、子どものために何が出来るかな?というアクティビティ探しと、出来立ての家を整えるには何が必要かなと考えたりIKEAに行ったり、自分の居心地のよさを、家族を中心とした生活空間をととのえることで得ようとすることに奔走した感じがします。
保育園めっちゃ見学したなぁー。

「自分はどうしたいのか、どうありたいのか」
「自分の力だけではどうにもならない、だから家族と共有しよう」
それをベースに考えはじめるようになった、価値観再構築の1年。

楽しく生活したい。
その楽しさって何からくる?何が自分にとっての楽しいなのか?どうやったらできる?何ができる?何をやりたい?そんなことを考えはじめ、少しだけ、社会に貢献したい気持ちが芽生えている産後1年でした。


ーー最初の復職を迎えると同時に、NECワーキングマザーサロン・プロジェクト(以下WMS)にも参画されましたね。WMS参加のきっかけや理由はどんなことでしたか?

マドレに出会い、心身が回復し、何か、社会に貢献できるようなことが出来ないかな・・・という気持ちの芽生え、また、「好き」「やりたい」からスタートした仕事じゃなかったから、仕事このまま続ける?と考え始めたところで知ったサロンの存在。すでに復職間近の12月頃だったので、もうその年の実施は終わっていました(涙)。

その後、来年度の運営メンバー(参画者)を募集するという説明会(オープンハウス)があることを知り、直感に従って夫に相談し子どもを任せて参加。マドレのシェアリングプログラムのよさは実感していたし、何かやるにも何を?となったとき、マドレが絡むならきっと信頼できるという直感

そしてその説明会で「いつか運営メンバーやろうと思ったとき、その場があるとは限らないよ」と、会員のめぐりん(大森恵さん)に背中を押され、参加していないのに参画を決めました笑


ーー復職とWMSの両立で良かったこと、大変だったことは?

周囲には無謀な挑戦と思われていたようですw。子どもがいて仕事をするという新しい生活のスタート、未知の中わざわざパワーがかかる大変な時期に新しいことを重ねるのか!とw(でもこの後、「復帰と同時に何かを始める」ことは2人目でもやることになるwww)

>良かったこと
ボランティアにエントリーするにあたって、用紙に夫と相談しなければ書けない箇所があったこと。必然的に夫婦で会話でき、自分のことだけでなく、相手の考え方を共有することができたのが大きいです。

そして、東京西チーム5人のチームワーク。メンバーはサロン初参画者がほとんどで、一緒にどうしていこうかを考えられたのが一体感を醸成しました。

得意なことだけでなく、苦手なこと、できることだけでなく、できないことを、同じように大切に扱えて、気持ちをオープンにチームビルディングできていたのだとあとから振り返って思います。また、運営メンバーとしてサロンの場に参加し、定期的に「自分はどうありたいか」をふり返り考え言葉にする時間を持つことができたのもありがたかったです。

また、仕事の中で、社内のリーダーたちの学びの場づくりを受け持つことがあったので、参加者が「自分はどう感じるか、どうありたいか」に目を向けた企画を取り入れるようにはたらきかけましたw

子どもが19時半には寝てくれるようになり、色んなことを考えたり進めたりできる時間が取れるようになったのも大きいです。
(これは2人目で覆されましたがw)

「何かやりたい」の気持ちを受け止めてくれたサロンプロジェクトに感謝、そして、そこに飛び込んだ自分を褒めたいです。ここからいろんなことが動いていきました。

>大変だったこと
子どもと自身の体調不良が増えたこと。いままで小学生からこちら、発熱はインフルエンザ1回くらいしか経験がなかったのに、38度以上の熱を6回以上出した。なんだかんだ相当身体には負担だったのだと思います…。

また、仕事の方向性に答えが出ない状態が続いたことは大変でした。2人目を望み病院に通っていたためフルタイムで働かず時間確保を優先させたこともあり、仕事を忙しくすることを意識的に避けていました。

しかし、もともと出世したい、とか、時短ワーキングマザーでも昇格昇給ができるようにしたい、と上司に言っていたので、イケドンで働きたいけどそれをあえてやらない人、自分は出来ない奴、と自分で自分を下げて過ごしてしまっていた気がします(今思えば、仕事は忙しくしていた方がいい、という呪いがかかってる感じもします…)。

色々仕事を任せてもらえている感じはありましたが、だいたい二番手ポジション(これも今おもえばマミートラック、でもそこに望んで乗っていった感がある)だったり、肝心なときに子や自身の体調不良が重なって全うできなかったり、と、モヤモヤが続いていました。

まずは妊活優先、2人目できたら育休中に考えよう、という無謀な考えでした。授からなかったときはそのときに考えようというある意味他力本願な考え方にだんだんなってきてしまっていた矢先の、2人目妊娠でした。

余談ですが、この期間中の参加したサロンで出てくるのもだいたいこんな感じの話でした。結局どうしたいのかね?と考え言葉にして、そのときどきは落ち着くのですが、やっぱりザワザワを繰り返した2年弱でした。

ーーありがとうございました!産後ケア教室をきっかけに育休中から心身と身の回りの環境を整えたり、チャレンジを重ねてきたのですね。そして復帰後のモヤモヤやザワザワを言葉にするWMSの場があったことで、二人目産後の挑戦にも繋がっていったのかも…。

この続きは、マドレタイムズ12月号にてお届けします!

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