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産後ケアのNPO法人マドレボニータ オフィシャルブログ

2019年8月23日金曜日

『マドレな人々インタビュー』〜川尻沙織さん(後編)〜

こんにちは。マドレ☆タイムズ編集部の木村由樹子です。
マドレボニータの月間メールマガジン『マドレタイムズ』では7月から2回に渡り、マドレボニータ正会員の「さおりん」こと川尻沙織さんのインタビューをお届けしています。

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北海道・北見市を中心に活動する会員チーム「マドレ・オホーツク(通称:マドオホ)」を立ち上げ、代表も務めるさおりん。第二子出産後の職場復帰ではご自身が東京へ単身赴任するという選択をされました。後編ではさおりんの「働く」についてお聞きしました。
★前編はこちら★

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ーーさおりんは、第二子ご出産後の職場復帰で、ご自身が東京へ単身赴任するという決断をされたそうですが、そこに至った経緯やお気持ちを、お聞かせください。

北見に来る前は、東京の某移動通信企業の本社で設備計画などの仕事をしていました。
仕事を辞めるという選択肢は元々なかったのですが、いざ復職を考えても、北見から東京の元職場にどうやって復職したらいいのか、夫の仕事は、保育園は、住むところは??と、どうしたらいいのかわからない状況でした。
NECワーキングマザーサロンの進行役は復職のためのリハビリとも考えての立候補でしたが、ある参加者さんが「でも働きたいんです、仕事はしたいんです」という言葉をシェアリングで伝えてくれたときに「あ、私もそうだ!シンプルにそれだけでいいんだ!」とハッとする思いがしました。そこからは「でも夫が〜」とか「でも保育園が〜」というような条件や環境を無しに、「私は働きたい」という想いだけを掲げ、行動するうちに、スルスルっと単身で復職する準備が整った感じがしました。

ーー言い訳を全て横に置いて、「自分はどうしたいか」を軸に行動されたのですね。仕事を辞めるという選択肢が無かったというのは、なにか背景に思いや経験があるのですか?

ちょっとおかしなことを言いますが、私はずっと「私が働かないのは世界にとって損失だ!」と宣伝していました。例えば「結婚したら奥さんには専業主婦になって欲しいんだよね〜」なんて話し始める大学の同期や、「子どもできたら仕事辞めるの?」と気軽に聞いてくる職場の同期などに良くそう言って宣伝・宣言をしていました。失笑されたことも多々あるのですが、軸にあるのはその思いです。私が仕事を通して問題解決能力を身につけることで、能力開発することで、社会の渡り方を学ぶことで、人脈を作ることで、政治力を身につけることで、世間にはとっても大きなメリットがある。その機会損失をあなたは許せますか?と相手に迫っています(笑)。

もっと一般的な言い方に変えると、これまた私が「私の働く」を見つめた原点である就職活動の時期に戻るのですが、結婚や出産というライフイベントを経験しても働き続けやすい企業であることを重視した企業選びをしました。(こういう選択ができたのは恵まれていたと思いますが…)
また、夫は大学院時代の研究室の後輩だったこともあり、同じような環境で勉強をしてきた仲間として「なぜ彼は子どもが産まれても変わらず仕事をするのに、自分だけ・女性だけが仕事に影響を受けるのか」というのは常に比較して考えてきました。理系だったこともあり、周りに男性も多かったので、比較対象がたくさんいておかしいなぁと思うことが多かったのかも。

ーー単身赴任生活に向けて、どんな準備や調整をされましたか。

普通の共働き家族が復職前に準備する内容と同じだと思うのですが、保育園の確保や園長をはじめ担任の先生にも相談し、当時北見には病後児保育しかなかったのですが病後児保育の申込と、いざという時のために民間の派遣型保育への申込などを行いました。
あとは毎週末北見に帰ることは決めていたので、航空会社のカードに申込みしたりもしました(笑)。

ーーパートナー側にも特別な準備は無かったのですか?

夫は比較的自由の効く職種ではありますが、職場の上司や同僚に事情を説明し、理解していただきました。元々私も同じ研究室で学んでいた関係で、夫の上司の皆さんとも一緒に研究をしたり学会ついでに飲みに行ったことがあったのもあり、私の人となりを理解していただいていたので、その点はスムーズだったのは良かったです。
また、第2子妊娠中に私が切迫流産の診断を受け、安定期までの数ヶ月間寝たきりになった経験があったことも幸いしたように思います。当時、夫は仕事を16時頃に切り上げて保育園のお迎えにいき、夕飯作りや寝かしつけをして、深夜に仕事に戻るというような生活をしていました。夕方から始まるような会議は欠席だし、飲み会にも参加できず、夫は思うように仕事ができない生活に何度も頭を抱えていましたが(私も悩んでNPO法人ファザーリング・ジャパン代表の安藤さんにメールしたりしました)、子どもと一緒の生活を体験したり、保育園の先生と真に主体的に関わることで、おもしろさも知れたし子育てへの覚悟もできたのではと思っています。

ーー単身赴任中、一番思い出に残っているエピソードを教えてください。

2歳前の娘が「ママはお仕事でトーキョーに行っている」ということを一生懸命話してくれたと保育園の先生が連絡ノートに書いてくれたことがありました。小さいなりに母親の仕事やいまの状況を理解しているんだな、と思って嬉しいエピソードでした。息子も私のはたらくを応援してくれていて、私よりも愛社精神が強く、「このCMよかったよね!」とか「◯◯先生は他社を使ってる!」とか話してくれるので、私の方が恐縮してしまうくらいです。

周りの人に単身赴任している話をすると、意外と母親の単身赴任というのも珍しくないのもわかって面白かったです。母親が海外赴任をしている例なども耳にして、決して少なくないということを知ることができました。働く場所が限られる社会はおかしいと思いますが、諦めずに働く手段を考える仲間がいることに励まされました。
一方で私の働き方を知って「私なら絶対無理」「うちの夫は絶対無理」等々、皆さんが(勧めているわけでもないのに)自分自身に当てはめて感想を伝えてくれることも面白い反応でした。
北海道新聞に取材していただいたことで、飲食店でとなりに座った人が私の働き方を噂していたよ、なんて話を聞いたりもしました。

ーー単身赴任前・単身赴任中とその後で、ご自身やご家族、その関係性などにどんな変化がありましたか?

最初から夫が協力的だったかというと、そうではなくて、北見に戻る異動届けを出し決定してから夫は完全に協力体制になりました(笑)。それまでは、理解し協力してくれてはいましたが、納得はしていないのが滲んでいました。
ただこの経験をしたことで、夫も私もそれぞれの職場でダイバーシティの活動や働き方改革の活動に参画するきっかけになったのは嬉しい出来事です。(夫は研究職ですが、学会のダイバーシティを考える講演会で妻が単身赴任の働き方の講演をしてスタンディングオベーションをもらったと喜んでいました)

ーーお二人ともお仕事の幅が広がったのですね。今後もその方面でご活躍の機会がありそうですね^^「理解し協力はしてくれるけど納得はしていない」なぜなんでしょう。個人的には、その辺りをぜひ掘り下げてみたいです。決してパートナーを責めたいわけではないです。

「そうは言っても一人で日々の子育てを担うのは大変」というところがあるのではないかなと思っています。
単身赴任の間、掃除・洗濯・片付けや、夕飯に食べるおかずの用意・冷凍保存などは、私が毎週末の帰宅時に行っていました。朝食は以前より夫の担当で、昼間は子どもたちは保育園なので、朝晩送迎して帰宅後夕飯を温めて食べさせ、お風呂に入って寝る、という生活は他人事としては結構楽だったんじゃないだろうかとすら思ってしまうのですが、たとえ夕飯作りや掃除洗濯の家事が免除だったとしても(うらやましい!)細々とした子どもの世話や家に大人が1人であることの緊張感、ちょっとした時に大人と話ができないこと、子どもの成長を一緒にリアルタイムで見て喜べないこと、などなど、自分に余裕がなくて生活を楽しめない状況にも「納得できない」状態だったのではと思います。
私も夫が短い出張のときに、夕飯はレトルトカレーやうどん屋さんで済まし、家事も放置していかに楽をしたとしても「そうは言っても一人で子育ては大変!」という気持ちになることが多々あり、単身赴任という日本的な制度にまつわる苦労には早く制度や文化が変わることを願わずにはいられません。。。

ーー最後に、産後ケア教室やサロンでもお伺いする『5年後の私』について、今思うことをぜひ教えてください。

5年後には「どこではたらくか」の制約がなくなり、もっと自由に自分のしたい仕事ができる環境ができているといいなと思っています。
私がいま北見に異動することができて仕事を続けられているのは、過去に自己都合での転勤が叶わずやめていった先輩・同期たちからするととても恵まれていることだと思います。ただ、北見に異動するという選択肢を取るためには子会社への転籍や地域限定職というコース選択が条件だったこと、それによりキャリアの幅も可能性もかなり削られてしまったことは本当に残念です。単身赴任中も在宅勤務をフル活用しながら仕事ができたことを考えると、さらに残念に思いました。テレワークの先進団体であるマドレボニータのように、私のはたらく会社でも早く制度の壁が取り外されて、どこにいても楽しく仕事ができるようになることを願っています。
また、一方で移住を勧めた方々に「でも仕事がねぇ・・・」と言われてしまうのですが、仕事は自分でつくるものだ!とも思っています(笑)。オホーツクというこの素晴らしく美しい環境の可能性を最大限に活かして、会社の制度が…なんて小さいことを言わずに、私自身を進化させていきたいと思っています。乞うご期待!
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2か月にわたってお届けしたさおりんのインタビュー、いかがでしたでしょうか。
地元とは遠く離れた場所でコミュニティを立ち上げて地域の活性化にも貢献しながら、自身の「働く」を叶えるために行動する姿に「LIVE YOUR LIFE」を感じました。
さおりん、本当にありがとうございました!

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