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産後ケアのNPO法人マドレボニータ オフィシャルブログ

2020年2月19日水曜日

マドレな人々 ~ボールエクササイズ指導士“りんちゃん”デビュー記念インタビュー☆“好き”を仕事に!(1)

こんにちは、マドレタイムズ編集部です。
マドレタイムズ2月号では、ボールエクササイズ指導士としてデビューした宮澤千尋さんのインタビューをご紹介します!

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マドレな人々 ~ボールエクササイズ指導士“りんちゃん”デビュー記念インタビュー☆“好き”を仕事に!(1)


『ボールエクササイズ指導士』養成コース3期生として昨年春より鍛錬を重ねてきた“りんちゃん”、こと宮澤千尋さん。ついに12月にインストラクターデビューを果たし、『産後のバランスボール教室』東京都練馬区大泉学園と埼玉県和光市にて開講いたしました!


レッスンのご参加者のみなさまに、三児の母であることをいつも驚かれる、というのも納得の、キュートで凛とした佇まいのりんちゃん。
その意外な職歴や産後のパートナーシップ、そして養成コースでのエピソードも含めてのインタビューを2回にわたってお届けいたします。
“好き”を仕事へと結びつけてきたりんちゃんの熱い想い、必読です!

宮澤千尋インストラクター『産後のバランスボール教室』のご案内
・大泉学園教室(練馬区) 
毎月第1・3火曜日 10:30-11:30開催

・和光市教室(埼玉県) 
毎月第2・4木曜日 10:00-11:00開催


前職はハイブランドメーカーのショップ店員!?


聞き手:12月に『ボールエクササイズ指導士』としてデビューして早くも2か月ですね!日々のレッスンはいかがですか?

りんちゃん:とにかくすごく楽しいです! ご参加くださった方が、一緒に参加された仲間たちと体を動かせることを心から喜んで下さったり、ご参加者同士でコミュニケーションをとる様子を見れるのがとってもうれしいです。

聞き手:ところでりんちゃんは、『ボールエクササイズ指導士』になる前はどんなお仕事をされていたのですか?

りんちゃん:女性向けハイブランドのアパレルメーカーで働いていました。

聞き手:りんちゃんの、可憐でかわいらしいイメージからは意外な経歴ですね! なぜその職業を選ばれたのですか?

りんちゃん:学生時代から「読書」と「音楽」と「ファッション」に興味があったので、好きなことを仕事にしたい!と就職活動をしていました。最初は校閲の仕事を希望していたのですが、準備不足から思いは叶わず…。働きながらも“自分のための時間”をしっかりと確保でき、プライベートも充実させられる職場を…と探していたところで、そのアパレル企業と出会いました。新卒で就職してから29歳で出産するまでの7年間、銀座や新宿などの店頭に毎日立って接客していました。

聞き手:7年間、毎日店頭で立ち仕事! 大変だったのでは?

りんちゃん:それが平気だったんです。

聞き手:それまで体を鍛えていたとか?

りんちゃん:全然鍛えてないです…。音楽が好きだったこともあり、クラシックギター部には所属していましたが、学生時代は運動部に入ったことはなくて…。ただ大学の時に飲食店のホール担当のアルバイトをしていたので、それで鍛えられたのかもしれません(笑)。

結婚、出産、専業主婦の日々…から怒涛の第二子産後


聞き手:そこから結婚、出産を経験されるのですよね。

りんちゃん:はい。社会人になってからも続けていた音楽活動の仲間と結婚することになり、28歳で結婚、第一子を妊娠しました。仕事は楽しかったので、産後は職場復帰するつもりだったのですが、当時住んでいた練馬区は待機児童数ワースト3に入るエリアで。半年待っても保育園に入れず…結果、退職せざるを得なくなりました。

聞き手:自分の想いに反しての退職…。辛かったのではないですか?

りんちゃん:保育園事情については以前から耳にしていたのですが、本当に保育園に入れないんだ…と衝撃でした。ただ自分の母親も専業主婦でしたし、そのタイミングで第二子を授かったこともあり、自分の中では前向きにシフトチェンジしたつもりでした。

聞き手:では納得して専業主婦としての日々を過ごされていたのですね?

りんちゃん:はい。ただ、第二子の産後が本当に辛くて…。2歳になったばかりの長男の赤ちゃん返りで、精神的にかなり不安定な日々でした。たまには外食でもしようと、子ども2人を連れてレストランに行ったのですが、長男があまりに泣き叫ぶもので、注文したものを一口も食べず、帰ったこともありました。そんな時、まわりからの「子どもがかわいそう…」という言葉が一番つらかったですね…。子どもに手をあげてしまったこともあり、ものすごく落ち込み反省した記憶もあります。

聞き手:マドレボニータの産後ケア教室には参加されなかったのですか?

りんちゃん:当時から教室のことは知っていましたが、そんな長男の預け先もなく、諦めていました。子どもとの時間を作らないと!という気持ちはありましたが、自分のための時間を確保しようとは思えなかったんです。

聞き手:赤ちゃん返りした2歳児と生まれたばかりの赤ちゃん2人を抱え、本当に大変な日々だったのですね…。

りんちゃん:まさにいっぱいいっぱいの毎日で、産後9か月の時に、これは産後うつに片足を突っ込んでいるなと思いました。その時やっと「私はしんどい。子どもと離れたい」という気持ちを夫に伝えることができました。前々から夫は「たまには一人で出かけたりして息抜きしてくれば?」と言ってくれていたのですが、まずは長男の気持ちを自分が受け止めなければ!という想いが最優先で。

今、振り返ってみると、なにより自分の時間が必要だったんだと思います。自分の気持ちに気づき、夫にも伝えられたことで、徐々に気持ちが落ち着てきました。

“第三子、産む?産まない?問題”で育まれたパートナーシップ


聞き手:現在、三児の母であるりんちゃん。そこからのパートナーシップは順調だったのでしょうか?

りんちゃん:私は第二子の産後の辛さもありましたし、妊娠中のつわりがひどいこともあり、子どもは2人にしたいと思っていました。しかしながら夫が第三子を強く希望していて。育児や家事の負担が増える一方ですし、大好きなお酒も自分だけが我慢しないといけなくなる。そんな思いも含めて夫と何度も話し合いをしました。それまで家事や育児の分担は私と夫で9.7:0.3くらいだったのですが、第三子の妊娠中から産後にかけて、夫はフレックス制度を使い朝5時に家を出て、夜6時には帰宅する、という毎日に。夫も家の中のことをまわせるようになり、我が家にとって革命的なターニングポイントとなりました。

聞き手:第三子問題があったからこそ、改めてパートナーとよりよい家庭と関係性を築き直すチャンスになったのですね!

りんちゃん:本当にそう思います。夫に気持ちを伝えられるようになったことで、自分も無理をしなくなりました。

そんな夫の支えもあり、第三子の産後2か月目に念願の産後ケア教室、タケシ先生(竹下浩美インストラクター)の大泉学園教室に通うことができました。教室に参加したことで、「自分も社会復帰したい! 好きなことを仕事にしたい!」という想いが大きくなっていったんです。

次号に続く…


毎月第三水曜日に発行!

【文責:中桐昌子】

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