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産後ケアのNPO法人マドレボニータ オフィシャルブログ

2020年1月22日水曜日

「インストラクターの現場から」〜相棒は『赤鉛筆』から『赤玉』へ(中)〜(長野奈美さん)

こんにちは。マドレ☆タイムズ編集部です。
マドレタイムズ1月号ではリレーエッセイ「産後ケアの現場から」をお届けします。
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こんにちは、名古屋の産後セルフケアインストラクター長野奈美です。
前回11月号では、前職の校閲ガール時代のこと、産後の満たされない思い、転職へ向けての「密やかな企み」について書きました。
相棒は『赤鉛筆』から『赤玉』へ(上)


今回は第三子の産後、育休中に養成コースにチャレンジした話を書きます。

2016年8月に三女を無事出産して、産後1か月半で早々と産後ケア教室に通いました。
産後ケア教室を楽しむというよりも、ひろりん(山本裕子インストラクター)の一挙手一投足に注目していました。

「インストラクターは何を言って、どんなふうにレッスンを進め、どんな佇まいでいるか」

そんな目でひろりんを見つめていると(さぞ熱視線だったでしょう・笑)、全身から溢れてくる楽しさが一番印象的でした。エクササイズでは本気で笑っているし、シェアリングでは心から共感してくれているし。全身全霊のレッスンに「わあ、やっぱこれだわ」との思いを強くしたのです。

そして運命の3週目。
いつもより早くスタジオに行き「お話があります…私をひろりんの一番弟子にしてください!」と告白しました。なんだかよくわからないけど、二人で大泣きした記憶があります(笑)

口に出したら夢に一歩近づいたような感覚がありました。
最終週のシェアリングで「5年後の私」をテーマに「マドレのインストラクターになる」と宣言したし、翌月にリピートした教室のエクササイズでも、ひろりんから「ここまで意識してみよう」と一段高い目標を授けてもらいました。
ブログやFacebookでの発信もスタートさせました。

が、12月にエントリー課題が発表されて、トレーニングを始めたら…
近づいたはずの夢が遠のきました。


「体が動かない」だけではなく、にじみ出してくるものが圧倒的に違う…遠のくというよりも、いつまでも理想には届かない感覚。これは正直インストラクターになった今も持ち続けている感覚です。「私はマドレのインストラクターにふさわしいのか」と。畏れにも似ています。

養成コースのエントリーは、動画の再提出の機会をいただき、これからの伸びしろに期待してもらいなんとか通過。実技試験もギリギリの点数で合格。
養成コース期間中はとにかく死に物狂いでした。寝食を忘れて…とはまさにこのこと。後にも先にも、こんなに真剣に過ごした6か月はなかったと思います。

そんな思いをして「ボールエクササイズ指導士」という称号を手にしました。
2017年11月、生まれたばかりだった三女は1歳2か月になっていました。

と、同時に育休を終え職場復帰。
半年という短い期間でしたが校閲ガールとボール指導士との二足のわらじ生活も経験しました。

月に2回のレッスンでは当然スキルを維持できないので、夜中に体を動かすんです。
パジャマの下にウェアを着ていて、子どもたちを寝かしつけた後、1時間ほどのトレーニング。ブログや発信作業は、通勤時間と昼休みを利用…
今思えばこの時期も死に物狂いでした(笑) 白髪がどっと増えていましたもの。

「なぜ産後すぐにそんな思いをしてまで」と疑問に思う方もいるでしょう。
確かに苦しい養成コース期間とWワーク時代でした。
でも、夢中になるって楽しいんですよ。アラフォーになって、三児の母になっても「こんな社会にしていきたい」とか「こんな人生を歩んでいきたい」とか思って、コツコツ努力する。苦しいけれども、ワクワクして楽しい人生。そこに足を踏み入れてしまいました。

そして、あの1年間の努力は、私の「基礎体力」になっています。

ちょっとやそっとのことで凹まなくなったし
怠け者で逃げたがる自分もたまーに大事にしてあげられるようになったし
どんな場面でもサッと笑顔でいられるようになったし(笑顔は筋力)
夫の人生も仕事も余暇も尊重してあげたいと思えるようになったし
子どもたちの人生も「自分の力で切り拓いてくれ!」と手放せるようになったし。

体が健康になり、腰痛ともおさらばでき、風邪もひかず、フルマラソンを4時間40分ほどで走れるようになったことも、人生においては大きなメリットだと感じます。

右端が私です。東海エリアの(左)今川涼子インストラクター(中)山本裕子インストラクターと一緒に。

決めた道をコツコツと。
今なお途上の「マドレのインストラクター」への道を、楽しくコツコツと歩んでいます。


★『赤鉛筆』と『赤玉』
前職校閲記者の相棒は『赤鉛筆』。辞書と、記事を書く上でのお約束をまとめた「ハンドブック」を片手に、赤鉛筆で誤字脱字や事実関係の誤りを正すのが仕事でした。
そこから今の相棒はみなさんご存知の『赤玉』(赤いバランスボール)です。私の運命の色はきっと「赤」なのだと思っています。

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【長野奈美プロフィール】
1981年1月、名古屋生まれ。小学校から大学までオール名古屋市立で育つ。卒業後、地元新聞社で15年間赤ペンを持ち続け、正しい日本語と名古屋弁が紙面を飾るように尽力した。
2010年に長女を出産後、ニュースの一線で働くことに悩み36歳で一念発起、インストラクターの道へ。女性が妊娠・出産してもやりたいことを貫ける社会を目指して、啓発活動にも力を入れる。家族は夫と長女、次女(13年生まれ)、三女(16年生まれ)。
趣味はランニング(フルマラソン4時間39分)、マドレゆるラン部でも活動中。

ブログ「母をたのしく!」でも日々の奮闘ぶりを報告しております